萩の町は三角州に限れば自転車で十分回れるくらい狭いエリアなんで 一日ふらついただけでもそれなりに画像はゲットできるが 小ネタの消化みたいになるがどんどん紹介していこうっ!
こちらは最近整備されて存在は知っていたが なかなか来る機会がなかった渡辺蒿蔵旧宅。
自動車学校のある通りと言えば萩市民ならある程度場所は判ると思うが 通称「八丁筋」と呼ばれる通りにある。
実はわしの実家からは徒歩圏内なんだが、2~3年前からオープンガーデンなる庭園を開放するイベントの1スポットになっていて入場は無料。(だからやって来た、ということも言えるが・・・)
何をした人かといえば ネット記事によると
渡辺蒿蔵(天野清三郎)は、天保14年(1843)萩藩士渡辺家に生まれ、一時天野家の養子となりますが、のちに渡辺家に復籍しました。15歳の安政4年(1857)松下村塾に入り、吉田松陰に学んだ後、久坂玄瑞らの尊攘運動に加わり、奇兵隊に参加、禁門の変で長州藩の敗退後、西洋兵学の修得に励みました。
慶応3年(1867)長崎に派遣され、まもなく藩命により米英に留学し造船技術を修得しました。帰国後は、工部省に入り、官営長崎造船局(現三菱重工長崎造船所)の初代局長に就任し、日本の造船事業の近代化に貢献しました。その後、49歳で逓信省を退職。帰郷後は松下村塾の保存事業に地元代表として尽くしました。
・・・ということらしい。 なんでも松下村塾の門弟で一番長生きをした人らしいぞ。
入場無料の割に ボランティアのおばちゃんが常駐しているようで、案内をしながらいろいろ解説をしてくれたぞ。
「どこから来られたんですか?」と聞かれたが、「すぐそこに住んでいる地元民です」としか答えられなかったな・・・おばちゃんがこのあたりの住民なら わしの苗字を言うと正体がバレバレになる可能性が高いしな・・・。
昔から存在していた家なんだろうが 史跡として意識したのはごく最近だから もしかしたらちょっと前まで子孫の人でも住んでいた普通の民家だったのかもなあ・・・(´ー`)
**********************
そこから旧大通りと新大通りを突っ切ると 川島の藍場川エリア。
こちらも萩の紹介番組なんかでは高い頻度でロケ地となるスポットで、「花燃ゆ」でも使われていたな。
特殊技術を駆使したんだろうが電柱や近代的なオブジェは隠されていたし 道路には土を撒いたりして昔風に上手くカムフラージュされていたのには感心したぞ。
こちらには旧湯川家屋敷や桂太郎旧宅という 当時の建築様式を知ることの出来るスポットもあるが、協力金100円が徴収されるんで今回は却下じゃ。(せこいぞ)
あとから考えたら 藍場川から水を庭園だけでなく屋内に取り込んで 水仕事にも使えるようにした「ハトバ」なるシステムくらいは紹介したほうが良かったかなあ・・・
本日最後のスポットは 浜崎地区の御船倉。殿様のお座敷船を格納していた倉、ということだが 昔はこのあたりまでが川なり海なりに面していた、ということか。
これがネットで使えれば 解説をいちいち書く手間が無くて良かったと思うが わしのスマホでは上手く閲覧できなかったぞ。ぷんすかぷんっ(゚Д゚)
萩ネタはもう少し残っているが 今日はココまでじゃ!
ネタがないときは このパターンがお手軽でいいな・・・(´ー`)フフフ
0 件のコメント:
コメントを投稿