ここが「東洋のマチュピチュ」と呼ばれていることは聞いたことがあるし「別子銅山」というのも教科書に載っていた有名どころで、代表的な「貯鉱庫」の光景も興味がなかったわけではないが・・・なぜかスルーしていたな。
最近 インスタやツイッターのようなSNSのおかげか、「東洋のマチュピチュ」というキャッチーなコピーが有名になってきたんで これはやはり一度は見ておく必要があろう、と四国行きの機会を狙っていたんだが、今回はその舞台となった西赤石山も歩くことになったんで より深く散策することができたんじゃないかな?
「標高750mの山中にある東平は、大正5年から昭和5年までの間、別子鉱山の採鉱本部が置かれ、社宅・小学校・劇場・接待館が建てられるなど、昭和43年に休止するまで町として大変な賑わいをみせていました。」(マイントピア別子HPより引用)
まずは登山の途中で見かけた遺構の一部を。こちらは登山口に向かう途中にある「第三社宅跡」。
そしてこちらが銅山越。
山の裏から新居浜に向かう山越えルートの峠にあたる場所で 西赤石山登山のルートでは中間点の目安となる場所じゃ。
登山の起点近くにある「変電所跡」。
内部は当時のまま残されていて中に入ることも出来る。まあ、廃墟マニア向けのスポットかな?
こちらは火薬庫。
・・・と、まあ これらはあくまで一部であるが 別子銅山の遺跡をめぐろうと思えば結構な距離を歩かなければならんということじゃ。
ただ、「東洋のマチュピチュ」として有名な「貯蔵庫跡」や「索道停車場跡」メインで観ようと思えば 実は駐車場の真下にあるんでそんなに歩く必要はない。(下まで降りようと思えば「インクライン」という220段の階段を上り下りしなくてはならないけどな。
さすがにGWなんで マイントピア別子からのシャトルバスが狭い山道を観光客を乗せてひっきりなしにピストン輸送しているんで それなりに混みあっているぞ。
ではメインとなる「マチュピチュ」エリアをご紹介しようッ!!
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駐車場から下を見るとこんな感じ。
山の中に場違いとも思えるような廃墟跡が出現していることから誰が呼んだか「マチュピチュ」といわれるようになったんだろう。
ちょっと逆光だったのがアレだが、今の季節だと公園内に植えられているツツジが満開で それなりに絵になるのぅ(´ー`)
索道基地跡。
一番でっかい建物が「貯鉱庫跡」。
やっぱバックに山が入ると新緑に映えて絵になるなあ(・∀・)
「展望台」とやらに出向いて撮影してみたが マチュピチュあたりは木陰に隠れてあんまり良く見えず・・・これは展望台から降りて真下の道路から撮影した絵。
「展望台」は別子銅山遺跡を眺めるものではなく その向こうに見える新居浜と瀬戸内海を眺めるエリアだったようじゃ。
マイントピア別子に垂れ幕が掛かっていたが ここは石見銀山の世界遺産登録に触発されて同じく世界遺産を目指しているようじゃ。
ただ・・・素晴らしい遺産だとは思うが「世界遺産」といわれると果たしてどうだろう?というのがよそ者のわしの意見だな。もちろん見る人が見れば価値はわかるんだろうが 「石見銀山」とか萩もリストになっている「明治日本の産業革命遺産」と共通点は多いと思ってて 例えるなら「明治日本の産業革命遺産」のミニマム版というか・・・
要はメインの貯鉱庫跡あたりの景観は「軍艦島」と同じような立ち位置で その他の遺跡は「明治日本の・・・」の点在している それだけではインパクトの弱い遺跡みたいな感じ、といったら怒られるかな?何が言いたいのか たぶん伝わりにくいと思うけど。
あと、ペルーの駐日大使を招待して「ココが日本のマチュピチュです」とアピールするのも ちょっと勇気がいる行為だと思うぞ。
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とりあえず「マイントピア別子」に戻って 前日 食べ損ねた一番人気の「いよかんソフト」などをゲットして、と。
ここは温泉や食事処のほかに 道の駅なんで土産物も充実しているんだが、やっぱ鉱山絡みで鉱物なんかも扱っているんだな。
よくわかんなかったのが「しあわせ通洞」と呼ばれる 館内に作られたこのアベック向けのトンネル。中にチャペルというか 恋人同士が鳴らして ちば拓のキックオフ状態(←古い・・・)に浸れるというものじゃ。
なんでも「銅」にちなんで 銅婚式(結婚7年目)のカップル向けに作られたようだが、そんなニッチな需要のために作ったのか・・・
ふぅ・・・ (-。- )
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