3日目のメインとなるターゲットは対馬の南の端、豆酘(つつ)。
小茂田浜から県道の南下を進めて豆酘まで行けば 対馬全土をほぼぐるっと一周したことにもなるわけだが、
その前に ちょっと気になったネーミングの「美女塚」。
これは拝んでおかねばなるまい(゚∀゚ )
美女・・・(*´Д`)
『昔、豆酘に鶴王という美しい娘が住んでいました。
賢く親孝行な彼女は、あるとき采女として都へ召喚されることになりました。
年老いた母を残していく悲しみに耐えられず、都へ上る日、この場所で自らの命を絶ちました。
「美しく生まれたために、二人は哀しみにあうのなら、これからは、この里に美女が生まれませんように・・・」
このような言葉を残して世を去りました。』
采女というのは、古代天皇の宮廷に、地方豪族の娘が出仕したものです。
制度として確立したのは大化改新の時ですが、それ以前から慣行としてあったようです。(「ながさき旅ネット」より丸写し)
賢く親孝行な彼女は、あるとき采女として都へ召喚されることになりました。
年老いた母を残していく悲しみに耐えられず、都へ上る日、この場所で自らの命を絶ちました。
「美しく生まれたために、二人は哀しみにあうのなら、これからは、この里に美女が生まれませんように・・・」
このような言葉を残して世を去りました。』
采女というのは、古代天皇の宮廷に、地方豪族の娘が出仕したものです。
制度として確立したのは大化改新の時ですが、それ以前から慣行としてあったようです。(「ながさき旅ネット」より丸写し)
・・・当時の「美女」の規定がどの程度なのかはわからないが、とりあえず「自分が美女」ということに謙遜や疑いのないことは判ったぞ。
そういえば山口にも「姫山の呪い」とかいうのがあったが ストーリーはどことなく似ているような気もするな。
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さて、美女塚を拝んで いよいよ「豆酘崎」に到着じゃ!
ちなみに園地駐車場は炊事棟やトイレなんかもあって キャンプ地としても使用できそうな感じ。まあ 今回はもう利用する機会もないだろうけど。
とりあえず、雨が本格的に降り始める前に 展望所までは行かないとな。
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豆酘崎灯台。海上交通の要所であり難所でもあるこの地を明治の時代から灯し続けているぞ。
灯台のある丘には やはり旧帝国軍絡みの軍事施設遺跡が。
こちらは丘の裏側の弾薬庫跡。
丘から下りて先まで進めば展望所じゃ!
豆酘崎は御覧のように浅瀬が沖まで続いていて 潮流も激しく さらに強風も打ち付けるから座礁の絶えない難所。
ゆえに海上には浅瀬を知らせる灯台が設置されている。
・・・浅瀬豆酘、か。
広瀬すずとは・・・響きが似ているような似ていないような・・・
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と、豆酘崎の様子はこんな感じなんだが、このエリアは岬以外は特にコレと言った名所もなさそうなんで サッサと厳原の港に戻ろうかの。(多久頭魂神社の参拝を忘れていたことは厳原の町に入って思い出したぞ)
その前に・・・豆酘の集落の入り口にあった土産物店で 御当地アイス「藻塩アイス」を見つけたんで それだけ食って 今回のレポも終了じゃ!
なんか 御当地のジャンクフードを食うと「旅をしているなあ」と感じるなあ
(´▽`)
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