先日 このブログにコメントを寄せてくれた権現さんからの情報を確認するために 早速本屋に出向いて雑誌「ムー」を手にしたんだが、聞きしに勝る濃い内容だったんで思わず購入してしまったぞ。
学研の雑誌「ムー」は昭和54年の創刊なんだと。 わしもこのブログでは色々と知ったかぶって偉そうな事を書いているが、「ムー」に関しては高校生の頃は良く立ち読みしていたものの、敢えて恥を忍んで告白すると 成人になってからは殆ど読むことも無かったわけだ・・・まさか40を超えて購入することになろうとは 自分でもビックリだな。
これでわしも「ムー民」の仲間入りかあ・・・(´ー`)
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さて、何故わしが この歳になって「ムー」などを購入してしまったか?と言えば、その理由はこの記事に他ならないわけだ。
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記事はともかく、雑誌そのものがちょっとアレな電波を発している疑惑もあるが、わしが思わずビリビリと衝撃を受けてしまったのが この記事じゃ。
簡単に記事の内容を説明しておくと、
霊視を駆使して数々の行方不明者や逃亡している犯罪者、そして行方不明だった「麒麟」田村のお父さんを探し当てたことでも有名な FBIの超能力捜査官、ジョー・マクモニーグルがムー編集部の依頼で邪馬台国と女王・卑弥呼を透視したところ、彼女は長門市の部族を治めていたシャーマンで その類稀な能力を買われて部族連合(=邪馬台国)の長となったんだと。
邪馬台国は奈良県桜井市の鳥見山付近にあり、卑弥呼は夏は奈良で政権を担い、冬は山口県に戻って自分の部族の政治を治める2重の生活を送っていたらしいが、山口県・豊田湖にある安徳天皇陵こそが その卑弥呼の墓だと言うのだ!!
((((o゚▽゚)o))) ウズウズ・・・(←思いっきり琴線に触れているらしい・・・)
邪馬台国に関しては これまでも畿内説と九州説があって、それぞれの支持者が「我こそは邪馬台国ゆかりの地だ」と主張しあって 論争に決着が付く様子も無く、古代史最大の謎とされていたわけだ。
わしも今までは なんとなくイメージ的に「邪馬台国は九州にあった」という説を支持していたんだが、百聞は一見にしかず、というか 実際に「見た」という人がいるなら仕方あるまい。
マクモニーグルも わざわざ日本くんだりまでやってきたのなら 他に解決しなきゃならん事も沢山あるだろうに・・・とは思うが、とりあえず邪馬台国は奈良にあったということで疑う余地はなかろう。(そうか?)
で、昨日、雑誌「ムー」に書かれている マクモニーグルの透視したスポットを早速散策してきたんで ブログのネタとして皆さんにご紹介しておこうっ!!
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まずは長門市にある「卑弥呼が祭事を行ったとされる小高い丘」を調査じゃ!
記事では「仙崎」となっているが 正確には旧・三隅町の三隅下になる。 「村田清風生誕地」から国道を越えて山側の田んぼの中にポツンと小高い丘があるんだが そこだけが鎮守の森のようになっている。
これがウワサの「天神様」のある丘じゃ!
正直言って こんなところにこのような趣きのある天神様があるなんて 今まで全く気が付かなかったな・・・・
解説によると 菅原道真公は大宰府に送られるときに この旧道を通ったらしい。 んで、休憩のために腰をかけたとされる岩が御神体としてココに祭られているんだそうな。
これがその御神体。 確かに何らかのオーラを感じるぞ。
ついでに大巳貴命を祀った疫神社もあるらしいが ココの灯篭は灯りをともす部分が木製だったりして 変わってて面白いな・・・(・∀・)
鎮守の森もなかなかの赴きがあるぞ。これは巨木好きの友人いしも喜びそうだな。
むぅ~、かつてココで眼下に広がる大海原を眺めながら 卑弥呼が儀式を執り行っていたと思うと、悠久のロマンを感じずにはおれないなあ・・・o(´ω`)o
「どうやら、この周辺一帯が卑弥呼の部族の所有する土地で 周辺には卑弥呼に関連した場所もいくつかあるようだ」
・・・と 「ムー」の記事には書かれていたが、まさか楊貴妃の墓に次いで卑弥呼関連の史跡まで長門市にあろうとは、、、、呆れて開いた口が、、、いやいや、あまりの衝撃的な事実にグゥの音も出ないぞ。
・・・ちょっと長くなってしまったんで 「卑弥呼の墓」とウワサの安徳天皇陵参考地のレポは 明日のネタとして引っ張るぞっ!!くはっ!
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