曹洞宗・法幢山禅昌寺・・・1396年(応永3年)慶屋定紹の開山、大内義弘の開基により創建されたという。大内氏の帰依と得たが、大内氏の滅亡後は、毛利氏の帰依を受けた。(Wikiより引用)
と、いうわけで山口市下小鯖にある「禅昌寺」なんだが 久しぶりに散策に来たぞッ!
ココを散策するのは2回目なんだが まあ「観光地」というわけでもない禅宗のお寺さんなんで 特に用事もないならわざわざ来る人も居ないのかな?
今回は お寺の裏側に流れる千坊川に掛かるという滝を見学する、というのが本来の目的だったはずだが・・・・
事前調査が甘かったせいで 千坊川のどのあたりに滝がかかっているか 行き当たりばったりでは判らなかったし、今の時期に藪をかき分けて沢まで降りて散策する勇気もなかったんで 今回は滝散策は断念。時間が余ったんでお寺の散策に切り替えたのじゃ。前回来た時から時間もたっているんで どんなお寺だったか記憶にほぼ残ってなかったしな。
賽の河原があるのか・・・(´▽`)これは見ておかないとな。
なんとも立派な山門じゃのぅ・・・(´▽`)
*************************
本堂はこんな感じ。これまたなかなか立派な一品じゃ。
天保年間(1840年頃)独住二十二世東海禅師の代に再建されたもので本尊は釈迦牟尼如来像なんだと。
一文字に三ツ星の毛利の家紋が・・・
山門から右方向に鐘楼、東司、浴室、庫裏、食堂、玄関を通じて本堂へと回廊が続いている。
前回ここに来たときは この浴室が一般に開放されているとかいないとか未確認の情報があって それを確かめたいと思ったからだったと記憶している。
まあ 冷静に考えれば公衆浴場のように解放されているわけじゃなくて 法要などの特別行事の時や 禅行の体験とか修行なんかで信者や門徒の人が泊まり込みでやって来た時に使われるんだろうな。そりゃそうか。
本堂の裏を回れば賽の河原エリアへ出ることができる。
更に進むと古い墓地群が現れて・・・
「中の院」こと阿弥陀堂。
中が良く見えなかったんでカメラは向けなかったが こんな文化財級の木造が安置されているらしい・・・
そして最後は「奥の院」。左右に鎮座するのは歴住大和尚のお墓だそうな。
撮影して良いものかどうかわからなかったが こちらが奥の院のキモ、禅定台。
ここで座禅をしながら入滅され そのまま台座の下に祀られているんだとか。ナムナム・・・
**********************
と、いうわけで 行き当たりばったりで散策したんで 知識があればもっと深く楽しめたものもあったろうし 見どころをかなり見落としている感も否めないな・・・
かつては修行僧も多く 末寺も周辺に約80ほど点在していたほど勢力があって「西の高野」とも呼ばれていたというお寺さんなんで もう少し有名になってもよさそうなものだが。
どうでもいいけど「西の高野」って山口県では大寧寺や神上寺もそんな感じで呼ばれていたと思うけど 高野山以西でどのくらいあるんだろうなあ?
0 件のコメント:
コメントを投稿