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2025年5月18日

TANGO NOIR・丹後一人旅⑩ 三川権現社~かすみ・矢田川温泉

 丹後半島を離れた後の行動は 着の身着のまま木の実ナナの全くの無計画、行き当たりばったりなんだが 所有するツーリングマップルに「日本三大権現」と紹介されているスポットに目が留まる。

それがこのあと訪問することになる「三川権現社」じゃ!なんでも大和の大峰山、伯耆の三徳山に並ぶ聖地なんだとか。

・・・大峰山は世界遺産、三徳山は国宝投入堂が有名だし どちらも修験道の聖地という事はわしでも知っている。三徳山には2度ほど登っているしな。
しかしながら恥ずかしながら、三川権現社というのは今まで聞いたことがなかったな・・・その2つと肩を並べるほどの聖地なら 一度くらいは耳にしていてもおかしくないと思うが・・・

今回はトレッキングの準備なんかしてないし そもそも今の体力で修験道の山を登る気もないから お寺の本堂を眺める程度に どんなところなのか確かめに行くとしよう。

夕方4時頃の訪問だからさすがに静か・・・

と、いうか 護摩供養なんかのイベントがない時は無人なんだな・・・登山ルートはあるんだろうけど さすがにこの時間にはみんな下山しているだろうし。

こちら 正式には「三川山 蔵王大権現社」というらしい。

ブナやシャクナゲが群生する香美町香住区の三川山は、古来より山岳修験道の行場として栄えた古霊場です。 修験道の開祖といわれる役行者(えんのぎょうじゃ)が674年に蔵王権現を勧請して開いたと伝えられています。 三川権現は、 大和の大峯山、伯奢の三徳山と並び、日本三大権現に数えられ、かつては歴代の国主、諸公をはじめ一般の人々の信仰も篤く、隆盛を極めていました。 しかしふもとにある三川権現社は、天文7年(1538)、雷火によって奥の院を焼き伽藍を焼失します。その後一時再建されますが、天保3年(1832)に但馬有史以来といわれる山津波(土石流)によって全ての建造物を流失、埋没してしまいました。 出石城主仙石氏や村岡城主山名氏らが再興を計り、高野山大僧正と信徒らが蔵王堂を再建して、現在の三川権現社があります。(「但馬の百科事典」より抜粋)

まあ、いろいろあって現在の姿になった、ということじゃ。

特に琴線に触れるアイテムも無いか・・・

ミニ観音霊場があったんで やって来たせめてもの記念に88か所を巡っておくか・・・

むぅ、正直 想像していた感じとは少し違っていたが まあどんなところか判っただけでも良しとしよう。

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2025年5月17日

TANGO NOIR・丹後一人旅⑨ 出石神社・白糸の滝

 

どんどん西に移動して やって来たのは久美浜湾。
天橋立のミニ版として知られる「小橋立」と呼ばれるエリアにやって来たぞ。

かぶと山やら神谷太刀宮やら このあたりもなかなか見どころは多いんだが、久美浜周辺は6年前に城崎温泉をメインとした但馬ツアーで一度散策しているから今回はパスじゃ!

・・・と、いうわけで お気づきの方もおられようが、ここからはもはやサブタイトルの「丹後」とは関係ないエリアになるぞ。

で、やって来たのは但馬の国一之宮、「出石神社」とやら。

例によってWikiのコピペで簡単に説明すると

兵庫県北部、出石盆地東縁の山裾に鎮座する神社である。出石盆地南縁の現在の出石市街地からは北方約2キロメートルに位置するが、かつては出石神社付近が周辺一帯の中心地であり、現在の出石市街地は天正2年(1574年)に山名氏が居城を此隅山城から有子山城(のち山麓に出石城)に移してからの発展になる。この出石神社は、『古事記』や『日本書紀』に記される渡来新羅王子の天日槍伝説の中心となる神社で、現在の祭神には天日槍が将来したという八種神宝の神霊および天日槍自身の神霊を奉斎し、地元では出石の開拓神としても信仰される。古くから但馬国(兵庫県北部)では随一の神威を誇ったほか、中世・近世には但馬国の一宮にも位置づけられた、但馬地方では代表的な古社になる。社殿は大正3年(1914年)の再建で、豊岡市指定文化財に指定されている。また社宝として、明治14年(1881年)寄進の脇差(国の重要文化財)のほか、歴代領主の甲冑や古文書などを伝世し、現在はこれらの多くが文化財に指定されている。

と、いう事じゃ。

なんでも「いっきゅうさん」の呼び名で親しまれていて 朝鮮半島より但馬国に渡来したと伝えられる天日槍(あめのひぼこ)と伊豆志八前大神(いずしやまえおおかみ)を祭神としているんだとか。


舞殿形式で入母屋造りの拝殿はさすがの風格。


その奥に三間社流造りの本殿。こちらも風格ブラザーズ。


やたら派手な末社があるが 黄色い方は天日槍の妃、麻多烏が御祭神、赤いほうはお稲荷さんのようじゃ。


末社はあと2つ、市杵島比売社と天神さまの計4つだが 目立つものしか写真は撮ってないんで割愛じゃ!


とりあえず御朱印ゲットぉぉぉ!!

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2025年5月16日

TANGO NOIR・丹後一人旅⑧ 比沼麻奈為神社・乙女神社・藤社神社

 

流れ流れて 次にやって来たのは「比沼麻奈為神社」とやら。
まず読み方から解らないが「ひぬまないじんじゃ」と読む。

どういう神社かと言えば

主祭神は元伊勢宮・豊受大神です。社殿は伊勢神宮と同じ神明づくり。磯砂山に天降られた天女神が豊受媛神とされてます。豊受大神は、五穀豊穣を願う最高神とされており、伊勢神宮の外宮に祀られている豊受大神も元々はこの地から移転したと伝えられています。社殿由緒には「遠き神代の昔、此の真奈井原の地にて、田畑を耕し、米・麦・豆等の五穀をつくり、また蚕を飼って衣食の糧とする技を始められた豊受大神を主神として、古代よりお祀りしています。(後略)」と記載されています。近くには初めて籾を浸したという「清水戸」という井戸や、初めて稲作がされたといわれている三日月形の田んぼ「月の輪田」が残っています。「京丹後ナビ」より無断引用)

いやいや、ネットで検索して解説をそのままコピペするだけだから楽だな(´Д`)

つまり、伊勢神宮外宮に祀られている豊受大神は元々コチラに住んでおられた、ということじゃ。

わんわん♪

似たようなものを何か所かで見かけたが「社日塔」と呼ばれるこの五角柱の石柱には 五面にそれぞれ「農業祖神・天照大神(あまてらす)」「徐疫の神・少彦名命(すくなひこな)」「土の祖神・埴安姫命(はにやすひめ)」「五穀祖神・倉稲魂命(うかのみたま)」「国土守護神・大己貴命(おほなむち)」と刻まれている。

一粒で5度おいしい、というか、、、あんまり気にしたことがなかったんで知らなかったが こういうのって山口県にもあるのかな?

伊勢神宮と同じ神明造の社殿。なんか さすがに風格があるぞ。

とりあえず御朱印もゲットして、

ここは農業の神様、豊受大神がいらっしゃた場所、ということで 近くには「日本で最初に稲作が開始された場所」という「月の輪田」とやらがある。

広大な田んぼのなかに小さな祠があるだけなんだが 神話時代から現代にいたるまでこの地で米が作られている、というのはある意味奇跡だよなあ・・・

そこからさらに進むと 農村の住宅地の中にポツンと井戸が現れる。

「清水戸」と呼ばれるこの井戸は 農業を始めようと考えた豊受大神が籾を水に浸した場所、ということらしい。その籾を先ほどの月の輪田に撒いたわけだな・・・

ふ~ん・・・

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2025年5月15日

TANGO NOIR・丹後一人旅⑦ 道の駅 丹後王国・金刀比羅神社

 今回 時間があれば丹後半島からさらに北上して舞鶴まで足を延ばしてもいいかな~、なんて考えていたが いろいろ考えてやはり山口方面に戻りながら散策を続けることに。あんまり手を広げすぎても中途半端になるから京都北部はまた機会があればじっくり散策することにして・・・

で、やって来たのは道の駅「丹後王国 食のみやこ」とやら。

やってきたのが朝9時くらいだから食い物テナントなんかはまだ営業してないだろうな~、なんて思っていたが 「KUIYA」なる店が早朝からやっているのを発見!

このKUIYAさん、卵かけごはん専門店で 北近畿のブランド卵5種、専用醤油2種が置いてあり、高価な奴は一人1個までの制限がある玉子もあるが そのほかの玉子、みそ汁、漬物なんかは食べ放題で提供している。

で、大人一人1500円という価格は高いのか安いのか・・・なかなか元を取るのは難しいと思うが食べ放題なら間違いなく言えるのは「満腹にはなるだろう」ということかな。

わしは高血圧・高血中脂質の人間なんで「卵は一日2つまで」という自主ルールがあるわけだが ここもさりげなく「健康のため玉子は1日二つ程度が良いとされています」などと注意書きが・・・食い放題を掲げておきながら そのセリフはないような気が。

まあ、ご飯も茶碗に3杯も食えば腹いっぱいになると思うし いくら食べ放題と言っても卵もご飯に合わせて3つが限界だろう・・・とか思ったが、あとで店のホームページの写真を見て驚いた。
ご飯を茶碗1杯に対して卵を2つ3つの複数個入れる、という発想そのものが わしにはなかったな・・・たしかにそういう食い方をすればかなりの個数の卵を食べることができるわなあ。「鳥の巣を狙うヘビ」か「映画ロッキー」を思い出しそうだが。
ただ、わしは「卵かけごはん」は大好きだが 生卵だけを食う、というのはどうも・・・ご飯に対して卵の量があまりに多いと それは「卵かけごはん」じゃなくて「ご飯入り玉子」と言っても差し支えないような・・・

結局 ご飯3杯卵3つで満腹になって「昼飯は抜こう」と決心したところで ようやくオープンした園内を散策。

ミニ動物園のみなさんは食事中でこちらには見向きもしてくれず・・・

ふぅ・・・

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2025年5月14日

TANGO NOIR・丹後一人旅⑥ ぐるっと丹後半島(伊根の舟屋・浦嶋神社・丹後松島・ガラシャ大滝)

4月27日(日)旅行2日目の朝・・・

丹後半島の日本海側、道の駅「てんきてんき丹後」にて車中泊をしていたが 空腹のあまり日の出前に目を覚まし10キロ以上離れたコンビニに行くために京丹後市の中心部まで移動。

コンビニで玉子サンドとコーヒーを頂き、しばし休憩した後に再び天橋立付近まで移動。

2日目はまず前日に散策できなかった丹後半島をぐるっと一周するんだが 北上して昨日も訪れた道の駅「舟屋の里 伊根」に到着。明るくなるまでウダウダして過ごし 明るくなったところで伊根の町の散策を開始じゃ!

伊根町・・・日本で最も海に近い暮らし伊根町には「舟屋」が伊根浦地区に約230軒立ち並んでいます。その独特の景観とそこに息づく人々の暮らしから、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、「日本で最も美しい村」連合にも加盟しています。「伊根町観光サイト」より引用)

伊根の町は漁師町で舟屋のある家の前は普通の生活道路。対向車がきたらたちまち渋滞を起こしてしまうので基本的に観光客は来るまでの町中の散策は禁止されている。まあ 車で移動しても付いた先は行き止まりだし 海側から見る舟屋は独特のものがあるけど通りから見る街並みは普通の漁師集落だからな・・・

で、人々が動き出す前の早朝に車で伊根の町を走ってみたんだが 確かに街中は特に見どころも無かったな・・・車を停めるところも無かったし。いちおう動画で街中の様子を撮影しながら走らせたが 3分少々の動画でも特に見どころがなかったんで紹介はしないぞ。

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次にやって来たのは経ヶ岬の手前、「浦嶋神社」
ここは2003年にもやって来て2度目の訪問になるんだが 「浦嶋子」こと浦島太郎を祀る神社じゃ。

創祀年代は平安時代、淳和天皇の825年(天長2年)7月22日とされ、浦嶋子を筒川大明神として祀るのが始めであると伝えられる。宇良神社とも呼ばれ、延長5年(927年)「延喜式神名帳」所載によると『宇良神社(うらのかむやしろ)』と記されている。伝承によると、淳和天皇は、「浦嶋子が、雄略天皇22年(478年)7月7日美婦に誘われ常世の国へ行き、347年を経て、天長2年(825年)に戻った」との話を聞き、浦嶋子を筒川大明神と名付け、小野篁を勅旨として社殿が造営されたとされる。(Wikiより)

浦島太郎って神様扱いだったのか・・・それにしても平安時代にすでにウラシマ効果というか特殊相対性理論のような話を考え出すのが凄いと思ったが 元々の話にいろいろ脚色が付いて今のような形になったみたいだな。

歴史は古いが名前の割に質素な社殿。

本殿の柱の下にある石組の井戸は「御井(みい)さま」と呼ばれ 目の神様なんだそうな。

実は御朱印も欲しかったんだが やって来る時間があまりに早すぎて準備されておらず・・・お守りなんかは無人販売で置かれていたんだが、残念じゃ。

この浦嶋神社から眺める山(雲龍山)の方に「布引の滝」なる落差100M、丹後半島最大の滝があるらしい。これも拝めれば拝んでおきたいと思っていたが 雨後の後しか現れない幻の滝なんだそうな。
雲龍山は標高358Mしかないし たぶん滝が流れ落ちるとすれば頂上下の鞍の部分だと思うが たしかに頂上付近であれば常時 水流がある、というわけにはいかないか・・・

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