【良源】・・・良源は延喜12年(912年)、近江国浅井郡虎姫(現在の滋賀県長浜市)に、地元の豪族・木津(こづ)氏の子として生まれた。幼名は観音丸(日吉丸とも)といった。
12歳の時(15歳ともいう)、比叡山に上り、仏門に入った。良源は、最澄(伝教大師)の直系の弟子ではなく、身分も高くはなかったが、南都(奈良)の旧仏教寺院の高僧と法論を行って論破したり、村上天皇の皇后の安産祈願を行うなどして徐々に頭角を現し、康保3年(966年)には天台宗最高の地位である天台座主に上り詰めた。(中略)
良源は、比叡山の伽藍の復興、天台教学の興隆、山内の規律の維持など、様々な功績から、延暦寺中興の祖として尊ばれている。弟子も多く、中でも『往生要集』の著者・源信(恵心僧都)は著名である。
朝廷から贈られた正式の諡号(おくりな)は「慈恵」(大師号はない)であるが、命日が正月の3日であることから、「元三大師」の通称で親しまれている。(中略)また、全国あちこちの社寺に見られる「おみくじ」の創始者は良源だと言われている。
慈恵大師・良源を象った護符には「角(つの)大師」「豆大師」「厄除け大師」など、様々な様式があり、いずれも魔除けの護符として広い信仰を集めている。(Wikipediaよりコピー)
現在わしのアパートを守る角大師様の護符 |
ちなみに今回やって来た「普門院」は松江に城下町が造られたときに創建され 茶室の「観月庵」が文化財にも指定されている。
ここは松江城の鬼門に当たる位置らしいが 駐車場の裏から松江城がちょこっと拝めるぞ。
また 小泉八雲の怪談「小豆研ぎ橋」の舞台としても知られているんだそうな。
たぶんその階段の舞台となった普門院橋(小豆研ぎ橋)から見たお濠運河の様子。
とりあえず山門にあるという「幽霊の手形」とやらをチェック・・・
あれか・・・もともとは「幽霊の足跡」の話があったらしいが いつの間にか足跡が消えて(どこぞの子供が付けたであろう)手形のほうがハッキリ現れるようになったんだとか。
まずは境内にある稲荷社のお札をゲット。こちらは予定にはなかったんだが TARO先生が購入するのを見て なかなか趣のあるお札だったんでわしもゲットすることに。
なんでも新左衛門稲荷なる神狐にまつわる言い伝えがあるんだと。
こちらが本堂。この手前にお札を配布している小さいお堂があるんだが そこには目的の角大師のお札は置かれてなかったんで 寺務所(自宅?)に行って住職に直接頼み込むことに。
(´▽`)・・・。
なんとか無事にゲットできた、こちらが普門院さんの角大師護符。
効能は主に疫病退散なんだが コロナで話題となった妖怪アマビエよりも歴史は古いぞ。
今使っている角大師様の方が鼻筋が通っててイケメンっぽいけどな・・・
配布されるお寺によってデザインが微妙に違うのがまた趣があるな。
ちなみにこちらが稲荷社でゲットしたお札。
ちなみにTARO先生は最近 御朱印帳に行く先々の御朱印を集めているようじゃ。
一種のスタンプラリーみたいな趣向で わしも興味がないわけじゃないが・・・こういうのって神社とお寺をごちゃまぜにして集めても良いものなんだろうか?
まあ、どうでもいいことだけどな・・・
BARAさんこんにちは。
返信削除>一種のスタンプラリーみたいな趣向で わしも興味がないわけじゃないが・・・こういうのって神社とお寺をごちゃまぜにして集めても良いものなんだろうか?
私も御朱印を集めていますが、分けた方がいいらしいです。
私も最初は神社とお寺とが混在させていましたが、明治時代の神仏分離の影響もあるみたいで書き手の神社やお寺で分けて欲しい旨の苦言を受けることもあるようです。
御朱印帳は、今はお寺用と神社用を車の中のサコッシュに入れています。
それはそれで罰当たりな気もしないではないですが…。
風待人さん>神仏習合の影響・・・むむ、ここのようにお寺の中に神社が末社のように存在しているところもあるんですが 場所や宗派によってはそういうワダカマリも未だに残っていることがあるのかもしれないですね。こういうのは住職や神主さんに聞くのもアレだし 風待人さんのようにあらかじめ分けておくのが正解かもしれませんね。
削除私ももし麻羅観音様で御朱印がもらえるならば御朱印コレクターを始めても良いかな・・・
全国の金精様、マラ観音様等々 そんなジャンルで一冊まるまる御朱印を集めることができたなら 悲願(どんな?)が達成できるかもしれませんなあ(´▽`)