連休2日目は道の駅「くるめ」にて車中泊を決行したんだが、前日は夜にすることもなく早寝をしたことと 冷え込みのために寒さに我慢できず 早朝5時には起床・・・
基本的に遠征しているときは 動けるのは日の出から日没までになるんだが さすがにこの時期の朝五時は まだまだ真っ暗で何もできず・・・これが別府とか共同湯のあるエリアだと朝風呂でも堪能できるんだが。(後で知った情報だが 久留米にも早朝風呂をやっている施設があったんだが事前調査が足りなかったんで動けなかったぞ)
仕方ないんでファミマのイートインコーナーまで移動して しばしだらだらと過ごし、朝7時前に行動開始。
で、やってきたのは筑後川沿いに佇む「水天宮」じゃ!
朝7時過ぎの水天宮・・・まだ太陽が上がってないからか、静まり返っているぞ。
神社なんて一日中開いているところもあるんじゃないかと思うが さすがに有名どころなんで不要なトラブルを避けるためか 日の出の時間までは入り口にチェーンが張られていたぞ。
しばし待機して開門と同時に参拝開始じゃ!!
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RIZAPの結果にコミットしたような筋肉隆々の狛犬がお出迎え・・・(´ー`)
そもそも なんで今回のツアー2日目の目的地が福岡県久留米市なのか?といえば やはり新年一発目のツアーなんで 一年の安泰を神様に祈願したい、という思いがあるからじゃ。
初詣は元旦に地元の神社7か所にお参りを済ませているんだが やはり「総本宮」レベルの格式の高い神様にもすがっておきたいしな・・・
そんなわけでここ数年は出雲大社から始まって 阿蘇神社、太宰府天満宮、宇佐神宮、宗像大社、筥崎宮、香椎宮、宮地嶽神社などなど 「総本宮」と呼ばれるところを精力的に回ってきて 「行ける範囲で取りこぼしはないか」と検討したところ 浮かんできたのがこの水天宮だった、ということじゃ。
早朝の清掃作業を横目に 本日の最初の参拝者がやってきましたよっ(=゚ω゚)ノ
水天宮の祭神は天御中主神、安徳天皇、高倉平中宮(建礼門院、平徳子)、二位の尼(平時子)。
寿永4年(1185年)、高倉平中宮に仕え壇ノ浦の戦いで生き延びた按察使の局伊勢が千歳川(現 筑後川)のほとりの鷺野ヶ原に逃れて来て、建久年間(1190年 - 1199年)に安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠を建てたのに始まり 慶安3年(1650年)、久留米藩第2代藩主有馬忠頼によって現在地に社殿が整えられ遷座したのが現在総本宮である久留米水天宮・・・と、いうことじゃ。
元々は水神様を祀っていたらしいが 水がらみで祭神が「天之水分神・国之水分神」(あめのみくまりのかみ・くにのみくまりのかみ)とされ、「みくまり」が「みこもり(御子守)」に通じる、ということで ご利益は水難除け、農業、漁業、海運、水商売、また安産、子授け、子育て。はっきり言って わし個人には直接関係ないような効能ばかりだが・・・まあ、気にするまい。
ベッキーの今後の運気上昇でも願っておくかのぅ。
境内の一角には水天宮第22代宮司で幕末の志士、真木和泉守保臣を祀る真木神社もあるぞ。
わしなんかはどうしても地元輩出の吉田松陰一派のほうが先に頭に浮かんでしまうわけだが、真木さんがどういう人かというと 長州藩と手を組んで討幕運動を行い、坂本龍馬より先に薩長同盟の必要性を説いていた人、ということらしい。
まあ、この水天宮を語るうえで外せない重要人物らしいが、正直言ってここに来るまでそんなことは全然知識として持ち合わせてなかったんだがな・・・
祭神が源平合戦の安徳天皇とか二位の尼とかリンクして 下関・赤間神宮の「水天門」もなにかしら絡みがあるんだろうし、真木さんも宮司という立場で元々長州藩となんらかのつながりはあったんだろうな。
神社の傍には悠々と流れる筑後川。
九州第一の河川で利根川(坂東太郎)、吉野川(吉野三郎)とならび 筑紫次郎と呼ばれる「日本三大暴れ川」のひとつじゃ。
水天宮の解説板にも最後の一行にちょこっと書かれていたが、「全国河童の総帥、九千坊のふるさと」という 河童伝説発祥の地としても知られるんだそうな。
河童の親分・九千坊、か・・・いやいや、実に為になる知識だな・・・(´ー`)
念のために水天宮境内に 河童絡みのそれらしいアイテムでもないかと探してみたが 残念ながら発見できなかったな。
まあ、どんな場所か分かっただけでも 収穫はあったというところかな。とりあえず今回のツアーの建前の目的は達成できたんで満足かな・・・(´ー`)
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