さて、しまなみ海道を渡って今治市本土に上陸。そして向かったのが、
別宮大山祇神社。
先に訪問した大山祇神社の「別宮」という扱いなんだが、もちろんそれなりに古い歴史がある神社ではあるが 正直 観光地や有名スポット、というわけでもないと思う。
ではなぜわざわざここをお参りしに来たかといえば・・・
実は末摂社にその目的があったんだが、こちらは末社の一つ、奈良原神社。
荒神社
清高稲荷
そしてその清高稲荷の隣に鎮座しているのが・・・
ここに来た真の目的、阿奈婆神社。
祭神は磐長姫大神(大山積大神の長女)、大三島の阿奈波神社の別宮ということだが、
女性の守り神、子宝・安産の神様ということで このようなオブジェが。
これを見るためだけに今治に立ち寄ってしまうのも わしらしいといえばその通りか。
弁明するつもりもないし むしろそんな自分が誇らしいぞ。
左わきに置かれたこのオブジェも 何なのかはよくわからないが 思いを馳せるとコレもソレとなくアレに見えてしまう(ドレ?)ものよのぅ・・・
大三島の宮浦という港にこの阿奈婆神社の本宮が存在するんだが そちらにもこのようなオブジェの奉納物があるらしい・・・が 2016年に土砂崩れにあってしまい、現在は自然に還りつつある状況らしい。
ふぅ・・・
**************************
さて、別宮大山祇神社のお隣には四国八十八霊場巡りの第55番札所でもある「南光坊」がある。四国霊場のうち「坊」がつく寺院はこの南光坊だけです。正式には光明寺金剛院南光坊といいます。場所は今治市の中心街。起源が古く、航海の神、総鎮守・伊予一の宮の大山祇神社と深くかかわっています。
594年に勅命を受けて、大三島に造立されました。703年には越智玉澄公が文武天皇の勅命により、風波のため祭祀がおろそかになるのを憂いて当地に勧請し、「日本総鎮守三島の地御前」と称して奉祭しました。その後、弘法大師が別館を参拝し、坊で法楽をあげ、四国霊場第五十五番札所と定めました。
のち、伊予全土におよんだ「天正の兵火」により、寺全体がことごとく焼失しましたが、南光坊だけが別宮の別当寺として再興されました。1600年には藤堂高虎公の祈願所として薬師堂を再建。江戸時代(1603-1868)には藩主・久松公の祈祷所にもなり、祭祀料が奉納されました。
さらに時代がさがり1868年の廃仏毀釈では、別宮大山祇神社と明確に分離しました。神社に本地仏として奉安していた、大通智勝如来と脇侍の弥勒菩薩像、観音菩薩像も南光坊薬師堂に移しました。
太平洋戦争最末期の1945年8月、空襲により大師堂と金比羅堂を残して罹災しました。現在の本堂は1981年秋、薬師堂は1991年春に、山門は1998年に再建されたものです。(Tourism in SHIKOKUより無断転写)
本尊は大通智勝如来で、同霊場で唯一ということじゃ。
やはり遍路姿の参拝者がちらほらいらっしゃるぞ。
半チャーハン付きのセットにすると1,570円と 昼食にしては頑張った価格になるんで ここは単品でオーダー。
「水道からジュースが出る」というんで 水道水とまではいわないが安く飲める、という勝手なイメージがあったからなあ。コスモスでポンジュースを買えばもっと安く数杯は飲めるし。(←実は後になって「思い出作りに飲んでおけばよかった」と少し後悔していたり・・・)

0 件のコメント:
コメントを投稿