4月27日(日)旅行2日目の朝・・・
丹後半島の日本海側、道の駅「てんきてんき丹後」にて車中泊をしていたが 空腹のあまり日の出前に目を覚まし10キロ以上離れたコンビニに行くために京丹後市の中心部まで移動。
コンビニで玉子サンドとコーヒーを頂き、しばし休憩した後に再び天橋立付近まで移動。
2日目はまず前日に散策できなかった丹後半島をぐるっと一周するんだが 北上して昨日も訪れた道の駅「舟屋の里 伊根」に到着。明るくなるまでウダウダして過ごし 明るくなったところで伊根の町の散策を開始じゃ!
伊根町・・・日本で最も海に近い暮らし伊根町には「舟屋」が伊根浦地区に約230軒立ち並んでいます。その独特の景観とそこに息づく人々の暮らしから、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、「日本で最も美しい村」連合にも加盟しています。(「伊根町観光サイト」より引用)
伊根の町は漁師町で舟屋のある家の前は普通の生活道路。対向車がきたらたちまち渋滞を起こしてしまうので基本的に観光客は来るまでの町中の散策は禁止されている。まあ 車で移動しても付いた先は行き止まりだし 海側から見る舟屋は独特のものがあるけど通りから見る街並みは普通の漁師集落だからな・・・
で、人々が動き出す前の早朝に車で伊根の町を走ってみたんだが 確かに街中は特に見どころも無かったな・・・車を停めるところも無かったし。いちおう動画で街中の様子を撮影しながら走らせたが 3分少々の動画でも特に見どころがなかったんで紹介はしないぞ。
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次にやって来たのは経ヶ岬の手前、「浦嶋神社」。
ここは2003年にもやって来て2度目の訪問になるんだが 「浦嶋子」こと浦島太郎を祀る神社じゃ。
創祀年代は平安時代、淳和天皇の825年(天長2年)7月22日とされ、浦嶋子を筒川大明神として祀るのが始めであると伝えられる。宇良神社とも呼ばれ、延長5年(927年)「延喜式神名帳」所載によると『宇良神社(うらのかむやしろ)』と記されている。伝承によると、淳和天皇は、「浦嶋子が、雄略天皇22年(478年)7月7日美婦に誘われ常世の国へ行き、347年を経て、天長2年(825年)に戻った」との話を聞き、浦嶋子を筒川大明神と名付け、小野篁を勅旨として社殿が造営されたとされる。(Wikiより)
浦島太郎って神様扱いだったのか・・・それにしても平安時代にすでにウラシマ効果というか特殊相対性理論のような話を考え出すのが凄いと思ったが 元々の話にいろいろ脚色が付いて今のような形になったみたいだな。
歴史は古いが名前の割に質素な社殿。
本殿の柱の下にある石組の井戸は「御井(みい)さま」と呼ばれ 目の神様なんだそうな。
実は御朱印も欲しかったんだが やって来る時間があまりに早すぎて準備されておらず・・・お守りなんかは無人販売で置かれていたんだが、残念じゃ。
この浦嶋神社から眺める山(雲龍山)の方に「布引の滝」なる落差100M、丹後半島最大の滝があるらしい。これも拝めれば拝んでおきたいと思っていたが 雨後の後しか現れない幻の滝なんだそうな。蒲入(かまにゅう)
じゃなくて そのネーミングに尽きるわけだが、それでも推進委員会の思惑にはすっかり乗せられたんで それなりの効果はあったと言って差し支えなかろう。
金を落とすことまではしなかったけどな。(そもそも賽銭以外に金を落とすところもなさそうだし・・・)
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