流れ流れて 次にやって来たのは「比沼麻奈為神社」とやら。
まず読み方から解らないが「ひぬまないじんじゃ」と読む。
どういう神社かと言えば
主祭神は元伊勢宮・豊受大神です。社殿は伊勢神宮と同じ神明づくり。磯砂山に天降られた天女神が豊受媛神とされてます。豊受大神は、五穀豊穣を願う最高神とされており、伊勢神宮の外宮に祀られている豊受大神も元々はこの地から移転したと伝えられています。社殿由緒には「遠き神代の昔、此の真奈井原の地にて、田畑を耕し、米・麦・豆等の五穀をつくり、また蚕を飼って衣食の糧とする技を始められた豊受大神を主神として、古代よりお祀りしています。(後略)」と記載されています。近くには初めて籾を浸したという「清水戸」という井戸や、初めて稲作がされたといわれている三日月形の田んぼ「月の輪田」が残っています。(「京丹後ナビ」より無断引用)
いやいや、ネットで検索して解説をそのままコピペするだけだから楽だな(´Д`)
つまり、伊勢神宮外宮に祀られている豊受大神は元々コチラに住んでおられた、ということじゃ。
わんわん♪
似たようなものを何か所かで見かけたが「社日塔」と呼ばれるこの五角柱の石柱には 五面にそれぞれ「農業祖神・天照大神(あまてらす)」「徐疫の神・少彦名命(すくなひこな)」「土の祖神・埴安姫命(はにやすひめ)」「五穀祖神・倉稲魂命(うかのみたま)」「国土守護神・大己貴命(おほなむち)」と刻まれている。
一粒で5度おいしい、というか、、、あんまり気にしたことがなかったんで知らなかったが こういうのって山口県にもあるのかな?
伊勢神宮と同じ神明造の社殿。なんか さすがに風格があるぞ。
とりあえず御朱印もゲットして、
ここは農業の神様、豊受大神がいらっしゃた場所、ということで 近くには「日本で最初に稲作が開始された場所」という「月の輪田」とやらがある。
広大な田んぼのなかに小さな祠があるだけなんだが 神話時代から現代にいたるまでこの地で米が作られている、というのはある意味奇跡だよなあ・・・
そこからさらに進むと 農村の住宅地の中にポツンと井戸が現れる。
「清水戸」と呼ばれるこの井戸は 農業を始めようと考えた豊受大神が籾を水に浸した場所、ということらしい。その籾を先ほどの月の輪田に撒いたわけだな・・・
ふ~ん・・・
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進路は西、兵庫方向へ。
続いてやって来たのは「天女の里」とやら。
なぜにここが天女の里かと言えば「羽衣伝説」にまつわる土地だから、ということじゃ。
ではその「羽衣伝説」とは・・・
峰山町鱒留[ますどめ]の集落に古くから伝わる「さんねも・羽衣」の伝説だ。比治山に八人の天女が舞い降り、水浴びをしているところまでは同じだが、三右衛門[さんねも]という猟師が天女の衣を家に持ち帰る。「どうか羽衣を返してください」と天女が懇願しても「家宝にするのだ」と返さない。天女はとうとう諦め、さんねもの妻となり三人の娘をもうける。
天女は美しいばかりでなく、蚕飼いや機織り、米づくりや酒造りを教え、村はみるみる豊かになり人々は幸せに暮らした。しかし、天女は天が恋しくてたまらず、ある日、隠してあった羽衣を見つけ三人の娘を残して天に舞い上がる。悲しむさんねもに「7日7日に会いましょう」と天女は言い残したが、ようすを窺っていた天邪鬼が「7月7日に会いましょう」とさんねもに教えた。それでも嘆き悲しむさんねもに、天女はゆうごう(夕顔)の種を渡す。種を蒔くと、つるはどんどん天に伸び、さんねもはつるを登った。そこは天上の世界、天女はせっかく来てくださったのだからと、「天の川に橋をかけてください」とさんねもに請う。「ただしその間、私のことを思い出さないでください。そうでないと一緒に暮らすことはできません」。さんねもは一生懸命に橋をつくり、もう少しで完成というとき、嬉しさのあまり、天女の姿を頭に思い浮かべてしまった。とたんに天の川は氾濫し、さんねもは下界に押し流されてしまった。(JR西日本 「BLUE SIGNAL」より抜粋)
ま、現代なら弱みを握られた女性が卑劣な男に「SNSで晒されたくなければ言うことを聞け」と脅迫されるのと変わんないと思われるのだが 中居クン的には「性暴力」という日本語から一般的に想起される暴力的または強制的な性的行為の実態は確認できなかった、ということだろうな。WHO的には完全にアウトだろうけど。(何の話?)
このような「羽衣伝説」は日本各地に、「羽衣」を別のアイテムに置き換えれば世界各国に伝わるらしいが、日本で最古のものとされるのが丹後の羽衣伝説なんだとか。(丹後は丹後で別バージョンもあるみたいだけど・・・)
で、この「天女の里」はキャンプやコテージでの宿泊、さまざまな体験学習ができる交流施設なんだが、ココにやって来た目的は「天女の里」そのものではなく、その傍にある「天女が祀られたという神社」・・・すなわち「乙女神社」だったりする。
その「乙女神社」は交流施設から道を挟んですぐ傍にあるぞ。
ここにも「社日塔」が・・・
むぅ・・・ネーミングだけに興味をそそられて来たものの、特に何が、というものはなかったな・・・(←何に期待していたんだろう・・・)
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次にやって来たのは「藤社神社」。
こちらも読み方が難しいが「ふじこそじんじゃ」と読む。
お祀りしているのが豊受大神で 元伊勢「比治真名井」候補の一つ。
先ほどの乙女神社の天女も豊受大神と同一のものとする考え方があるらしいが、最初に紹介した「比沼麻奈為神社」が久次岳を豊受大神の降臨地としているのに対し ここ藤社神社は羽衣伝説の伝わる背後の磯砂山を降臨地としていて どっちが本当の降臨地なのかと激しい論争になったんだそうな。
結果 比沼麻奈為神社の方が「比定社」と認定されたんだとか。
「比定社」というのは朝廷に認められた格のある神社(延喜式)と同等とみなされた、ざっくり言えばそんな感じだと思うが、、、
ま、どっちが正統派でも良いような気がするが、どっちかが正解、という前提なのが凄いと わしなんかは感心するんだけどな・・・
わんわん♪
比定社から外されたのが理由かどうかわからないが そんなに参拝客も居らずひっそりしているぞ。
本殿だけ拝んで帰ろうとしたら 参拝に来ていた見ず知らずのお兄さんに「本殿裏の摂社は拝んでおいた方がいいですよ」とアドバイスを受けて慌てて拝んだお社がこちら。
天女の羽衣を隠したとされる中居・・・じゃなかった、和奈佐翁が祀られているんだとか。
まあ、人生いろいろあるわなあ・・・ふぅ・・・(←なにその感想・・・)
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