熊野本宮大社、熊野那智大社に続く熊野三山・最後の大社は新宮市の町中にある「熊野速玉大社」。
言ってみれば新宮市がこの神社の門山町みたいな感じだが ここは先述の2つと違って今回が初訪問となる。
Wikiによれば
「熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)は、和歌山県新宮市新宮にある神社。熊野本宮大社・熊野那智大社と共に、熊野三山を構成する。熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とする。かつては式内社(大)であり、旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。」
・・・ということじゃ。
まずは八咫烏神社にお参り・・・
最近は熊野三山というよりサッカーの方で知られているから気のせいか社も新しそうだぞ。
左の社は手力男神社。
御神木・樹齢千年という梛(なぎ)。
梛の木は熊野権現の象徴でこの神社のトレードマーク的な存在。だからこの神社の萌えキャラは「速玉ナギ」だったんだな・・・(´Д`)(←遠い目)
では早速、神門をくぐって拝殿へ・・・
中央の拝殿の後ろに 左から結宮、速玉宮、奥御前・三神殿、上三殿、八社殿と並んでいる。多分参拝順序があったと思うがいちいち控えてないんで忘れたぞ。
ここでは摂社の「神倉神社」の御朱印もゲット。
神倉神社は元々参拝する予定だったが、御朱印を先に頂いては これは是が非でもお参りする以外選択肢はなかろう・・・
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そんなこんなで熊野速玉大社から徒歩10分(車でもそのくらい掛ったような気が・・・)、神倉神社に到着じゃ!
とりあえず駐車場傍の出雲大社にお参りだけして・・・
これまた説明がめんどくさいんでWikiの丸写しだが、
神倉神社は、熊野速玉大社の摂社である。新宮市中心市街地北西部にある千穂ヶ峯の支ピーク、神倉山(かみくらさん、かんのくらやま、標高120メートル)に鎮座し、境内外縁は直ちに断崖絶壁になっている。山上へは、源頼朝が寄進したと伝えられる、急勾配の鎌倉積み石段538段を登らなければならない。
山上にはゴトビキ岩(「琴引岩」とも。ゴトビキとはヒキガエルをあらわす新宮の方言)と呼ばれる巨岩が神体として祀られている[1][2]。この岩の根元を支える袈裟岩といわれる岩の周辺には経塚が発見されており、平安時代の経筒が多数発掘され、そのさらに下層からは銅鐸片や滑石製模造品が出土していることから、神倉神社の起源は磐座信仰から発したと考えられている[1]。
神倉神社の創建年代は128年頃といわれているが、神話時代にさかのぼる古くからの伝承がある。『古事記』『日本書紀』によれば、神倉山は、神武天皇が東征の際に登った天磐盾(あまのいわたて[3]、あめのいわたて[4])の山であるという[1][5]。このとき、天照大神の子孫の高倉下命が神武に神剣を奉げ、これを得た神武は、天照大神の遣わした八咫烏の道案内で軍を進め、熊野・大和を制圧したとされている。しかし、「熊野権現御垂迹縁起」(『長寛勘文』所収)には神剣と神倉山を結びつける記述はないことから、天磐盾を神倉山と結びつける所説は鎌倉時代以降に現れたものと考えられている[1]。
・・・と、いうことじゃ。
熊野権現がこの地で最初に降り立った場所という事で もともとはコチラが本家だったようじゃ。その後台風なんかで倒壊したり荒廃したりしたが昭和の時代に今のような形で再建された。ゆえに熊野速玉大社は「新宮」と呼ばれるわけだな。
それは良いとして 最初の鳥居から既に石段は始まっているぞ・・・
源頼朝寄進の538段の石段は1段が大きいし見上げるほどの急こう配。すでに下半身の疲労はピークに達していたが、この時完全にわしの膝と腿が死んだな・・・
石段中ほどの社で参拝がてら休憩・・・
急こう配の石段を登りきると傾斜はだいぶ緩やかになって
いよいよ聖域に近づいてきたぞッ
「天ノ磐盾」と呼ばれる崖の上に巨大な岩が。あれがご神体の「ゴトビキ岩」か。
むぅ、なかなかの迫力よのぅ・・・
そんなこんなで神倉神社の概要はザックリだがこんな感じじゃ!!
あの石段をまた降りなきゃならんのか・・・
疲れた・・・
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