織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった時の権力者は直轄地とし、佐渡金山(越後)、石見銀山(石見)とともに重要な財源とした。
江戸時代に入ると生野奉行が置かれ、第三代将軍・家光の頃に最盛期を迎え、月産150貫(約562kg)の銀を産出した。宝永2年(1705年)には、「御所務山(ごしょむやま)」という最上級の鉱山に指定されている。
慶安年間(1648年 - 1652年)頃より銀産出が衰退し、享保元年(1716年)には生野奉行は生野代官と改称した。江戸中期には銀に換わり、銅や錫の産出が激増している。
明治元年(1868年)から日本初の政府直轄運営鉱山となり、鉱山長・朝倉盛明を筆頭として、お雇いフランス人技師長ジャン・フランシスク・コワニエらの助力を得て、先進技術を導入し近代化が進められた。
明治22年(1889年)から宮内省所管の皇室財産となり、明治29年(1896年)に三菱合資会社に払下げられ、国内有数の鉱山となった。
昭和48年(1973年)3月22日、資源減少による鉱石の品質の悪化、坑道延長が長くなり採掘コストが増加し、山ハネなどにより採掘が危険となったことから閉山し1200年の歴史に幕を閉じた。坑道の総延長は350km以上、深さは880mの深部にまで達している。
なお、閉山後は三菱鉱業(現・三菱マテリアル)が引き続き銀山周辺に生野事業所を設置し、現在も生野の主要産業となっている。
・・・と、いうわけで但馬ツアー4日目なんだが、生野鉱山にやって来たぞッ!!
生野鉱山については「昔の坑道跡だから島根の石見銀山みたいな感じだろう」という先入観があって 正直それほど期待もしてなかったんだが・・・やはり「超スーパー地下アイドル」こと「GINZAN BOYZ」の存在が気になっていたのじゃ。
・・・(´▽`)
では ほぼオープンと同時なんだが、さっそく生野鉱山を拝ませていただこうかの。
早速 次郎羅茂(じろうらも)がお出迎え・・・(*´-`*)
坑道入り口の真上に滝が流れているんだな・・・
むぅ・・・
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生野鉱山のメインとなる金香瀬坑口が観光坑道として公開されていて その長さは約1000M,およそ40分の行程となる。
当時の採掘の様子を ちょっと時代を感じるマネキン人形を使って再現しているわけだが、
時代遅れというか 見方によってはちょいとホラーのようなマネキンを アイドルとして活用したところが この生野銀山のすごいところだと思うわけだ。
正直、マツコの番組で初めて銀山ボーイズの存在を知った時は「これを考えた人は馬鹿じゃないか?」とも頭をよぎったが 思い切りというか発想の転換というか まじめに馬鹿をやっているような雰囲気が感じられて わしは意外に好印象だったな。
と、いうか こういう試みは「世界遺産」の冠を与えられた石見銀山では絶対できないだろうしなあ・・・
実際、明らかに銀山BOYZが目当てだろうと思われる カメラを抱えたお一人様の若い女性の見学客がチラホラ居たのには驚いたしな。
坑道は年間を通して13度という涼しさなんで それを利用した酒の貯蔵庫なんかもあるんだな。
世界遺産・石見銀山と比較して この生野銀山の強みは戦後まで採掘がおこなわれていたんで 昔ながらの採掘風景の他に近代的な技術も紹介されている、というところじゃなかろうか?
彼らも当然、銀山BOYSの一員じゃ( ´ ▽ ` )
ボタンを押すと発破のシミュレーションが体験できるギミックもあるぞ。(腰が砕けるようなショボさだったが・・・)
なんかカッチョいいぞ、、、
人を小ばかにしているような演出がナイスだな(´▽`)
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坑道の中だけではなく さらに古い時代に使われていた坑道跡の見学ルートもあるぞ。
こういう露天掘り跡だけでも600M、往復30分の見学ルートなんで 時間は意外と潰せるな。
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坑道を見学した後は資料館、レストハウスも見どころがいっぱいじゃ。
こういう場所柄、鉱石の展示販売コーナーや
いかにもなお土産の小判型のお菓子。チョコレートだったかな?
そしてやっぱり銀山BOYZ。
鑿セブン・・・(´▽`)
生写真も売られているんだな・・・
誰がサインを書いているのか、問い詰めたいのぅ・・・(´▽`)
いやいや、思いのほか楽しめたのぅ、石見鉱山・・・
やっぱ関西圏というのが大きいのかもしれないが、地味な観光資源も見せ方によっては新規の顧客開拓もできるんじゃないか、と思わせるものがあったな。
と、いうわけで個人的には何気にオススメ度は高かった、と言っておこう。
くはっ!!
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