浜出祭・・・山口県指定無形民俗文化財に指定されている浜出祭は、浜殿祭ともいわれ、7年に7度行われる豊北町最大の民俗行事です。山側の厳島神社(現在は田耕神社に合祀)と海側の土井ヶ浜にある蛭子社(現在は神功皇后神社に合祀)との男女2神の出合神事といわれています。田耕から土井ヶ浜まで古式ゆかしい時代装束をまとったご神幸や、土井ヶ浜では「墓目(ひきめ)」「鰤切(ぶりきり)」神事などの古儀式が繰り広げられます。(「旅ぐるなび」サイトより無断コピペ)
てなわけで今回、粟野川河川公園でキャンプを行なったのは 翌日4月1日に行なわれる「浜出祭」の見学を念頭においてのことだったりするぞ。
なんせ7年に一度しか行なわれない祭りだし、「陰陽和合の出会祭」と聞いては男として黙っては居れまい。(←?)
ま、専門的な解説はわしには(メンドクサイから)無理なんで 適当にネットでググッてもらうとして この日は女神側の田耕神社の行列から 男神の行列と合流する滝部(堀切)陣屋での対峙、そして3つの集団が神玉(土井が浜)に向かって練り歩くという約18キロの行程を途中をはしょりながらも付き合ってきたんで その様子をお送りしよう。
朝9時前の田耕神社の様子。さすがに珍しい行事とあって参加者以外に見学客や地元TV局の報道なんかもチラホラ。
挨拶を終えていよいよご神幸の出発じゃ!!
てっきり川棚の乗馬センターあたりからの調達かと思ったが 岡山ナンバーの馬専用車両があったんで そちらから手配されたであろうお馬さんたち。この田耕神社側だけでも10頭くらいいたんじゃないかな?
白馬はやっぱり花神子のような主要キャラクターにあてがわれていたが、実はこの写真を撮ったあとに馬が暴れて花神子が振り落とされる事態に・・・
よく時代劇で「暴れ馬が出たぞー!」というシーンがあるが そういう定番のシチュエーションを拝むことができようとは・・・残念ながらわしは馬の気持ちまでは読めなかったんで そういう肝心の場面を動画や画像に収めることは出来なかったぞ。ちっ。(←悔しい?)
実は土井が浜手前でもう一回 同じようなシーンを目撃もするんだが、馬も今の時代では滅多にこんな人混みの中を経験しないだろうから 興奮もするだろうなあ・・・
この花神子の女の子も怖くなったのか しばらくは馬から下りて歩いて行列に参加していたが、年端も行かないような女の子にはポニーのようなおとなしい馬をあてがう・・・というわけにはいかないんだろうな、やっぱり。
神主さんもご出発。この頃はまだ担当の馬も元気で落ち着いていたが・・・
とりあえず坂を下る鳥居の前で行列を整えてから 土井が浜に向けてGO!
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まずは坂を下って五千原坂なる集落へ。
今年は桜の時期とタイミング良く重なったし天気も良かったんで なによりだな。
他の人が話しているのを聞き耳を立てていたんだが ここ近年の浜出祭はずっと天候には恵まれているんだとか。
先回りして滝部の手前、久森口バス停付近に差し掛かったご一行をパチリ。
出発の時は心もとない音しか出てなかった法螺貝もこの頃にはなんとか形になってきていたぞ。
最後尾は馬の落し物処理班。
滝部の旧道商店街を進む。
ここでも何か神事があったのか けっこう長い時間留まっていて 隊列のオッサン連中はビール片手にくつろいでいたな・・・
線路を突っ切る一行。
これから海側の行列と出会う神田口の梨選果場に向かう。
で、やってきました こちらが堀切出合の特設会場・・・じゃなくて陣屋。
これから互いの使者が陣屋を行き来して古式にのっとった挨拶を交わす、という儀式が行なわれるようじゃ。
神玉側の陣屋。こっちは男神だと聞いていたんでウッカリしていたが こちらにも花神子は居たんだよなあ・・・(*´Д`)
当然 花神子をフィーチャリングした画像もわしの手元には何枚かあるんだが、ここでは未成年ということを考慮して それとなく映っている画像のみをアップしているぞ。
しかしまあ、今の時代はデジカメやホームビデオなんかが普及していて こういう古式の所作なんかも記録できるんだが、昔は口頭か書物でしか伝承する手段が無いから大変だよなあ。しかも7年に一度の行事ならなおさらだし。
この浜出祭は鎌倉時代から700年以上続いている行事らしいが 人生50年の時代なら「長老」と呼ばれている人が次回の祭りに参加できるという保証もないだろうし。
儀式が終わったところで 合流して神事の行なわれる土居が浜へ。
ここで行列は400名くらいに膨れ上がっているんだとか。さすがに壮観じゃ。
土井が浜の手前で一旦 旧道から国道に出てくる箇所があるんだが、隊列が通過するまで警察によって道路が封鎖されるんで一時的に大渋滞が発生している国道191号。
ここで神主さんを乗せた馬が突然ふらついて田んぼの溝に倒れこんでしまい 神主さんが馬の下敷きになってしまうというアクシデントがっ!! Σ(゚Д゚)
わしも祭りそっちのけで神主さんが救出されるまでの一部始終を眺めていた(←まさに野次馬・・・)が、馬の尻に敷かれて身動きが取れなかった神主さんも特に怪我もなく 馬の方もとりあえず元気を取り戻したらしい、と 土井が浜の会場で風の便りに聞いたぞ。
ま、そんなことはともかく 田耕、神玉両行列が土井が浜の特設会場に集まって 神事のはじまりはじまり~♪
土井が浜のほうでは「浜殿祭」という言い方もされるようだが 儀式としてはこのような演目(?)が行なわれるらしい。
この土井が浜の神事が祭りのクライマックスなんで さすがにカメラ片手の見物客も多いな。
しかし 後ろの方から脚立を立てて撮影するなら理解も出来るんだが、最前列を分捕っているくせに脚立を立てて壁を作るのは 他の見学客に対して嫌がらせ以外にどんな意味があるのかのぅ(-゛-;)
蟇目(ひきめ)神事。
笛のようなものが先端に付いた鏑矢の音で邪気を祓うというものらしい。
ロケット花火のような音を期待していたが 「ホゥ」というシブい音だったな。
このあと なんか挨拶っぽい儀式が行なわれた後に 両陣営の華であるところの花神子2人が揃って舞を披露する「神子の舞」があるというんで 「このシャッターチャンスを逃してなるものかっ!」とカメラを構えて待っていたが、なんか座を一周歩いただけで終わってしまったぞ (-。- )
未成年の女子2人に欅坂46のように失神寸前になるほどの過激な舞を要求などするつもりはないが もう少しインスタ映えするような踊りは700年前にはさすがに存在しないのか・・・(そりゃそうか)
なんでも「日本の全ての踊りの原型」ということらしいが、突き詰めればそういうことになるのかなあ。
お互いに酒を酌み交わす「神酒三献(みきさんこん)」の儀。
「いっこん、にこん、三献!」というくだらないジョークが頭の中を駆け巡ったことはナイショだが、いわゆる結婚式の「三々九度」にあたる儀式なんだとか。
この浜出祭で一番有名な まさにクライマックスの儀式、「魚据鰤切神事」。
鰤に手を触れずに箸と包丁のみで捌くという荒業で 10キロ超の大きな鰤を持ち上げて「これ見たかァァァ!!( ゚Д゚) 」と、叫ぶところが見所じゃ。
このような作法でぶった切られた鰤の姿がこちら。まあ 手を使わずに調理しようと思えばこれが限界なんだろうが この後はきちんと調理されたものが参加者に配られて宴会となるわけじゃ。
前田下関市長はじめ 来賓の方々にも料理は配られていたんで 横から少し盗撮させていただいたぞ♪
正直、あまり美味そうな感じはしないか・・・。
神事でぶった切られた鰤を見たときは平野レミばりの豪快な料理を想像したんだが、まあ700年前にはレミパンなんてものは存在しないしな・・・(←そゆ問題なのか?)
このあとは餅撒きなんかが行なわれて祭もエンディングを迎えるわけだが 餅撒きまで付き合うと帰りの車の渋滞に巻き込まれることは必至なんで この写真を最後に撤収。
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いやいや、実際に行列に参加したわけではないから偉そうなことは言えないが さすがに朝から夕方まで付き合うと疲れるなあ。
7年に一度しか男女が会えない、ということで 何となく七夕を連想する行事ではあるが 今年観ないと次は還暦手前まで拝むことはできない、という意味では貴重な体験だったと言えるんじゃないかな?
てなわけで「浜出祭」のざっくりしたレポはこんなところだが 次は今年行なわれるという6年に1度の蓋井島の「山ノ神神事」をどうするか、検討中じゃ。
ふぅ・・・
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