2015年1月6日

わが故郷 萩を行く!「草庵跡」





吉田松陰誕生地の入り口にある「高杉晋作草庵跡地顕彰碑」

「文久3(1863)年3月、10年間の暇を許され京都で剃髪し東行と号した高杉晋作が4月に萩に帰国し、団子岩の麓に草庵を結びました。師である吉田松陰ゆかり誕生地の近くで松蔭の遺著を読み、妻マサと一緒に嵐の前の静かな一時を過ごしました。(ネット記事丸写し)

・・・と、いうことだが 実際の草庵はココではなく 田床山の麓にあったりする。
今回は良い機会なんで十年ぶりくらいになるが久しぶりに草庵を訪ねてみることに。

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維新ロードを東光寺から陶芸の村公園に向かう最初のカーブに 田床山登山道の取り付き口の階段が。



ココからは足元がぬかるんでいる場合もあるし、夏場はマムシの出る確率の高そうな道になるんで それなりの格好が良いと思われるが、200Mくらい歩くと・・・





この分岐を右に進むと田床山山頂へ、左に進むと草庵跡なんだが・・・



こちらが団子岩

吉田松陰誕生地のあたりも「団子岩」というらしいが、この団子岩とごっちゃになっているような気がするなあ。 それとも草庵跡にある岩だから団子岩と名付けられたのか、このこんもりとした地形が団子岩なのか 詳しいことは不明じゃ。



ココから先はちょっと進めば目的の草庵跡地なんだが、しばらく来なかったら完全に羊歯に覆われて自然に帰っていたな・・・(・ω・)

昔の記憶だと この先に獅子岩なる岩があって 沢沿いに簡単な石組みの残る ちょっとした開けた空間があったんだがなあ。残念ながら記憶がオボロで 団子岩から右・左・正面のどっちへ進めばいいのか思い出せなくて 断念じゃ。
昔の写真をひっくり返してみれば画像が出てくるかもしれないが・・・

まあ、普通の観光客が来るような場所じゃないし、埋もれたルートを整備しても金は落ちないかもしれないが、観光とは切り離しても歴史遺産を後世に残す、という意味では田床山登山道とあわせて整備するのも わし的には必要なことなんじゃないかと思うわけだ。 

萩市としては世界遺産関連に金をつぎ込みたいと思っているかもしれないが 今年は「花燃ゆ」というきっかけもあるし この程度の登山道なら金を使わなくても上手くボランティアをそそのかせば 良いようにやってくれると思うんだがなあ。

こういうときに「土地の所有者が・・・」とか気にするのも 行政としては仕方ないかもしれないが、団子岩から進む方向さえ教えてくれれば わしがヒマなときに鎌持って草刈に出向いても・・・

(゚Д゚)クワッ!!

2 件のコメント:

  1. BARAさん、今晩にゃ(=^・^=)
    と、おっさんの挨拶にしてはキモい感じですみません。
    平成27年如何お過ごしでしょうか?
    草庵跡>歴史の場所を探索してると「こっちが元の位置」とか「そっちは本来のと違う」とか、割と頻繁に出くわしますね。
    遊歩道の整備、必要なら我輩も御手伝いしたいところですね~(知識は皆無ですが)
    草庵跡に止まらず各地の秘境もかつて存在した遊歩道も年々廃れてて、寂しい限りです。
    あまり人が入っても嫌なんですが・・・・(ぇ

    高杉晋作はとても好きです。若くして亡くなられたのは残念ですね。
    (そういえば松陰神社のお守り、返しに行ってないなぁ・・・)





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  2. Veinさん、どもです。
    平成27年は・・・もう去年の後半から今年の3月まではこなすのが不可能なほど予定が入っていたんで かなり滅入ってます。 と、いうか 仕事始めの日に体力的・精神的にダウンして帰宅早々意識が飛んでました・・・とりあえず3ヶ月間は心の上に刃を置いて過ごすしかありませぬ。

    草庵跡はこのまま埋もれさせるのはあまりに勿体無いと思うんですが 松陰神社の横に郡司鋳造所遺構広場とか UFOビルの横に萩往還の札所跡とか 突然観光地が降って湧くように現れるより、こういうところを大事にすべきなんじゃないか・・・と個人的な意見ですがね。

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