旅行3日目の朝も絶好の散策日和じゃのぅ♪
車中泊をした「道の駅 七里御浜」のすぐ前には全長25KM、日本最長の砂礫海岸で「白砂百選」「渚百選」「21世紀に残したい自然百選」の七里御浜海岸が広がっているが 海岸そのものが世界遺産なんだそうな。
朝5時すぎには目を覚まし そそくさと道の駅「熊野・花の窟」に移動。 既にその頃にはお日さまは顔を出していたが この道の駅に移動した理由・・・それはこの日の最初の散策ターゲットが「花の窟神社」散策に他ならないからじゃ!!
要は「花の窟神社」のインフォメーションと駐車場がそのまま道の駅になっているんだな・・・
まず「口有馬竜宮塔」とやらに手を合わせて・・・
道路を挟んですぐのところに「花の窟神社」ががが。
例によってWikiの解説というか概要は
『日本書紀』(神代巻上)一書には、伊弉冉尊は軻遇突智(火の神)の出産時に陰部を焼かれて死に、「紀伊国の熊野の有馬村」に埋葬され、以来近隣の住人たちは、季節の花を供えて伊弉冉尊を祭ったと記されている。当社では、それが当地であると伝え、社名も「花を供えて祀った岩屋」ということによるものである。 神体である巨岩の麓にある「ほと穴」と呼ばれる高さ6メートル、幅2.5メートル、深さ50センチメートルほどの大きな窪みがある岩陰が伊弉冉尊の葬地であるとされ、白石を敷き詰めて玉垣で囲んだ拝所が設けられている。一説には、伊弉冉尊を葬った地はおよそ西1.3キロメートル先にある産田神社(うぶたじんじゃ)であり、当社はこの火の神である軻遇突智の御陵であるともいう。花窟神社では、伊弉冉尊の拝所の対面にある高さ18メートルの巨岩が、軻遇突智の墓所とされている。 古事記や延喜式神名帳に「花窟神社」の名はなく、神社というよりも墓所として認識されていたものとみられる。実際、神社の位格を与えられたのは明治時代のことである。 今日に至るまで社殿はなく、熊野灘に面した高さ約45メートルの巨岩である磐座(いわくら)が神体である。この巨岩は「陰石」であり、和歌山県新宮市の神倉神社 の神体であるゴトビキ岩は「陽石」であるとして、一対をなすともいわれ、ともに熊野における自然信仰(巨岩信仰・磐座信仰)の姿を今日に伝えている。 2004年、ユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部(熊野参詣道伊勢路の一部)として登録された。
ということじゃ。
「ほと穴」とか「陰石」とかいう文言はこの解説を読んで初めて知ったんで 参拝の時は全然気にしてなかったぞ・・・そうと判っていれば違う見方もできたろうに・・・
とりあえずご神体に向かう手前の稲荷さまと
黄金竜神さまにお参りして・・・
手水舎そばにある丸石神さまにも手を合わせて、
0 件のコメント:
コメントを投稿