2025年4月8日

25年春・還暦前に伊勢参り⑮ 花の窟神社

旅行3日目の朝も絶好の散策日和じゃのぅ♪

車中泊をした「道の駅 七里御浜」のすぐ前には全長25KM、日本最長の砂礫海岸で「白砂百選」「渚百選」「21世紀に残したい自然百選」の七里御浜海岸が広がっているが 海岸そのものが世界遺産なんだそうな。

朝5時すぎには目を覚まし そそくさと道の駅「熊野・花の窟」に移動。 既にその頃にはお日さまは顔を出していたが この道の駅に移動した理由・・・それはこの日の最初の散策ターゲットが「花の窟神社」散策に他ならないからじゃ!!

要は「花の窟神社」のインフォメーションと駐車場がそのまま道の駅になっているんだな・・・

まず「口有馬竜宮塔」とやらに手を合わせて・・・

道路を挟んですぐのところに「花の窟神社」ががが。

例によってWikiの解説というか概要は

『日本書紀』(神代巻上)一書には、伊弉冉尊は軻遇突智(火の神)の出産時に陰部を焼かれて死に、「紀伊国の熊野の有馬村」に埋葬され、以来近隣の住人たちは、季節の花を供えて伊弉冉尊を祭ったと記されている。当社では、それが当地であると伝え、社名も「花を供えて祀った岩屋」ということによるものである。 神体である巨岩の麓にある「ほと穴」と呼ばれる高さ6メートル、幅2.5メートル、深さ50センチメートルほどの大きな窪みがある岩陰が伊弉冉尊の葬地であるとされ、白石を敷き詰めて玉垣で囲んだ拝所が設けられている。一説には、伊弉冉尊を葬った地はおよそ西1.3キロメートル先にある産田神社(うぶたじんじゃ)であり、当社はこの火の神である軻遇突智の御陵であるともいう。花窟神社では、伊弉冉尊の拝所の対面にある高さ18メートルの巨岩が、軻遇突智の墓所とされている。 古事記や延喜式神名帳に「花窟神社」の名はなく、神社というよりも墓所として認識されていたものとみられる。実際、神社の位格を与えられたのは明治時代のことである。 今日に至るまで社殿はなく、熊野灘に面した高さ約45メートルの巨岩である磐座(いわくら)が神体である。この巨岩は「陰石」であり、和歌山県新宮市の神倉神社 の神体であるゴトビキ岩は「陽石」であるとして、一対をなすともいわれ、ともに熊野における自然信仰(巨岩信仰・磐座信仰)の姿を今日に伝えている。 2004年、ユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部(熊野参詣道伊勢路の一部)として登録された。

ということじゃ。
「ほと穴」とか「陰石」とかいう文言はこの解説を読んで初めて知ったんで 参拝の時は全然気にしてなかったぞ・・・そうと判っていれば違う見方もできたろうに・・・

とりあえずご神体に向かう手前の稲荷さまと

黄金竜神さまにお参りして・・・





手水舎そばにある丸石神さまにも手を合わせて、


いよいよ花の窟神社の聖域に進入じゃ!!

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「日本最古の神社」のキャッチコピーを持つ花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)は巨石を祀った神社で神様を祀る社は無い。
写真の巨岩が伊弉冉尊が埋葬された岩で その窪みが埋葬地、とされているんだそうな。

「ほと穴」か・・・なんだかそう言われるとそう見えてしまうから 人間って不思議だな。(わしだけ?)



反対側にある 小さいほうの巨岩(へんな表現・・・)が生まれてくるときに伊弉冉尊の陰部に大やけどを負わせて死なせてしまったという軻遇突智尊を祀るご神体。

磐座の頂上から七里御浜にむけて大綱が掛けられているが この綱を取り付ける神事「御縄掛け神事」が有名なんだそうな。

被写体がでかすぎてなかなかいい写真が撮れなかったが 全体をみるためにTHETAで360°画像を撮影しておいたんで 興味ある方はそちらをご覧いただいて・・・


早朝で社務所がまだ開いてなかったが 無人販売所で御朱印はなんとかゲット♪


さ、この日が旅行最後の日になるんだが 回れるだけ回りたいんでサッサと次へ向かうぞッ!!

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