2019年6月16日

2019GW但馬ソロツアー⑬:志村喬記念館

平安時代から開発が始まった生野鉱山は 明治維新後に官営鉱山となって近代化が進められ のちに皇室財産、さらに宮内庁から三菱に払い下げられていくわけだが、当時の鉱山職員のために用意された宿舎が「朝来市旧生野鉱山職員宿舎」として残されている。



建物は甲7号、甲8号、甲9号、甲29号の4つが残されていて それぞれ大正時代、明治初期、昭和中期、明治後のそれぞれの時代に合わせて当時の家具や電気用品などの調度品、トイレや台所、ふろ場などが復元され 生活様式の違いが垣間見れるようになっている。







もちろん この職員宿舎を見ているだけでも懐かしかったり興味深かったりもするわけだが、わしがわざわざココに来た理由といえば・・・



日本を代表する昭和の名優、志村喬は父親が生野鉱山の冶金技師であったため、この宿舎で生まれ育った、ということだが 甲住宅の一つが「志村喬記念館」として公開されているからに他ならないぞ。






志村喬と言えば やっぱり「生きる」とか「七人の侍」とか「酔いどれ天使」あたりの黒澤作品を思い起こす人も多かろう。

「ゴジラ」などの東宝特撮映画ももちろん印象に残っているんだが、わしは個人的に「志村喬といえば」思い出すのは TV「どっこい大作」で 主人公・大作の敵役でもあり 実は彼に試練を与えて成長を見守る実業家、二階堂甚平に尽きるかな・・・


子供心に 大作の行く手を阻む甚平が憎たらしかったよなあ・・・(´▽`)



大志を持ちながらも次々に転職していく大作もどうかと思ったが・・・(前職のスキルが全く生かせない職場を選ぶし・・・)



実は生野鉱山の場所を地図で調べていた時に この施設の存在を初めて知ったんだが、それが生野銀山訪問を決定づけることになったのじゃ。
GINZAN BOYZの存在を思い出したのは そのあとの話になるんだが、それだけ我々の世代では志村喬は偉大というか やっぱインパクトに残る存在だったわけだな。





残念ながら内部の撮影は禁止されていたが、出演した映画のスチールなどの資料、志村喬氏の名言や生活用品、昭和の映画関連の小道具などが展示されているぞ。







残念ながら「どっこい大作」の二階堂甚平に関する資料はなかった(そりゃそうか・・・)が、「いぶし銀」と評される志村喬の名シーンの数々を思い出させる施設で やはり映画好きなら押さえておきたい施設だと思うぞ。

いやぁ、やっぱシブいな、志村喬・・・(´▽`)



上の画像の「生誕の碑」もそうだが、この施設に色々寄付をしたりして尽力しているようだな。
やるなぁ、岡田准一・・・(´▽`)

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