2017年8月19日

(再録・日本一周記065)2003/09/08・たくましい防長っ子、会津に行く!

(第65日目)喜多方市~会津若松市~猪苗代町~天栄村~下郷町~田島町

朝4時 「道の駅・喜多の郷」にて起床・・・

朝のコーヒーを道の駅近くのセブンイレブンまで買いに行ったら 「会津名物・東山ようかん」なる羊羹が一本100円で売られているのを発見。コンビニでこういう郷土銘菓をバラ売りしているのは大変良いシステムだな。

と、いうか 朝っぱらからこんなモン食うから 一向に痩せないんだろうな・・・
さて、今日は天気も上々なんで いよいよ会津の散策に行くかのぅ。「会津」という言葉を町の名前に組み込んでいる市町村はいくつかあるみたいだが やっぱ城があって一番大きな会津若松市に行くのが順当だろうな。

この東北エリアでは わし的にはやっぱり会津は絶対に外せないスポットだと認識していたのだ。なんせわしは先祖代々からの生粋の長州っ子だからな。

まあ 萩ではそれほど問題にもならないんだが やっぱり長州と会津の確執ってのは根深いものがあるし 萩ではそんなに話題にならない、っていうのも 戊辰戦争以来 現在にいたるまで両者の間で問題が残っている、という原因の一つだと思うし。

もちろん わし自身が何かしたというわけでもないが 萩に生まれ育った以上 何も知らないでは済まされまい。やはりこの目でその会津を見てみる必要を常々感じてはいたのだ。

今日は今までのような意味不明な放浪記ではなく 少しでも何かを感じることができればいいんだが・・・





早速 会津若松市に到着~♪

・・・と、到着したのはいいんだが 予備知識を全く持たずに流れるように来てしまったんで 何を見たらいいのかサッパリわからん・・・
ま、とりあえず有名な白虎隊の墓から見ることにしよう。 わしの持っている地図は全国地図なんで街の詳細まで載っているわけではないが いちおう白虎隊の墓と若松城だけは印がついているから 押さえどころなんだろうな。

白虎隊の墓のある飯盛山の登山口の前には市営の無料駐車場と観光インフォメーションがあったんで ここに車を止めて さっそく観光案内ボランティアのオバチャンに押さえどころを聞くことに。

「あの~、会津はどの辺りが観光の定番なんですかね?」
「そうですね~ この飯盛山と鶴ヶ城、あとは武家屋敷とか ちょっと離れて野口英世記念館あたりが普通 回られるコースだと思いますよ。会津は初めてですか?」
「なにかこう 詳しい地図みたいなチラシはありますか?」
「いやあ、特に詳しい地図と言うのは用意してないんですけど・・・」

・・・むぅ、やはり質問の仕方がまずかったかのぅ。

「私 萩から来たんですが 『これは押さえた方が良い』という場所はありますか?」 と 質問を変えたら 「あら、まあ!」と驚いたあと 机の中から大きな本を取り出していろいろ調べてくれたぞ。
「そうですね、、、藩校の日新館とか近藤勇の墓とか・・・あ、あんまり観光客は行かないんですが 萩の方なら西軍墓地とかも行かれます? あと 野口英世記念館とか・・・」

いろいろ調べてくれたんだが やっぱり野口英世記念館は外せないみたいだな・・・なぜかしら?
ま、せっかくあれこれ調べてもらって申し訳ないんだが わしも全部を見て回る時間もないし やっぱり絞って回るとするかの。

まずはココ、飯盛山からだな。



飯盛山は白虎隊が自刃した悲劇の場所として 記念館や墓 それに様々な碑石が残されている観光スポットだ。まあココと鶴ヶ城が会津の歴史を語る上で代表的なスポットかな。見るだけではアレなんで 珍しく記念館や鶴ヶ城の天守閣にも足を運んでみたぞ。

今回はテーマがテーマなんで あまり茶化しも無しで写真に簡単な説明を加えて紹介しよう。

上りも下りも階段が無く 同じ道は二度通らない、世界にひとつ 摩訶不思議な「さざえ堂」
コピーには興味をそそられるが あんまり白虎隊とは関係無さそう・・・




山の中にあった「白虎隊志士の墓」

この場所で城下に燃え広がる炎を見た白虎隊の面々は 落城と勘違いして次々に自刃していったんだとか。

まあ城までは距離があるから 勘違いしても仕方がないかな・・・

「供養車」

車輪がついていて くるくると回せば「キィ~ッ」ときしむ音がする。
この音が無念だか心の苦しみだかを表現していて それを聞きながら霊を慰めるシステムらしい・・・

これが「鶴ヶ城」。若松城とか会津城とか いろいろ呼び名があるらしい。

昭和40年に再建されたものらしいが なかなか立派だな。
中は例によって博物館になっておる。

商店街の裏筋の幼稚園の傍にたたずむ「西軍墓地」

この地では長州、薩摩、土佐などのひともやっぱり戦死しているのだ。まあ戦争だからな・・・あんまり観光コースにはなってないみたいだけど。

ふむ・・・・白虎隊資料館や鶴ヶ城の資料館などで 戊辰戦争と白虎隊についての簡単なあらましはわかったんだが、それでも会津若松の市長が萩の市長と会談したときに握手を拒否するほどの深い溝がどこから来ているのか?と、言う事まではよくわかんないな・・・

会津若松の歴史も どうしても白虎隊の悲劇と言うか美談と言うか そういうのが中心になっているし、おそらく現代にいたるまで両者を隔てているからには それ相当の物語があるんだとは思うが あんまり表には出せないことなんだろう。

たとえば会津の人が長州軍に人道外れたひどい仕打ちを受けたとして 中国みたいに日本軍に人民が虐殺されている様子をロウ人形にでもして博物館で展示する、というわけにもいかないんだろうが 事実が表に出てこないで親から子へ口伝いで恨みつらみが伝承されていくんであれば この問題はなかなか解決しないだろうな。

長州側に問題意識が全く伝わらないし、正直言って「なんでそんなに毛嫌いしているんだろう?」くらいで終わっちゃうもんなあ。 それじゃ長州征伐はどうなのか?とか なんで坂本竜馬は恨まれないのか?とか 結局は歴史の流れだったんじゃないか?とか「悲しいけど これ 戦争なのよね~」などと いろいろ思うところはあるんだが・・・

萩の子供は小学生の頃から吉田松陰の教えを道徳の時間に習うのだが 会津の子供もやっぱり白虎隊の忠臣を道徳の時間に習うのかしら? 自分の住む町の過去の歴史を学ぶのは当然だと思うが たまにはお互いの授業内容を取り替えていくとか そういうことも必要かもしれないな。片や「過去の偉人に対する誇り」と 片や「忠臣と悲劇の歴史」だけを子供達に伝えるだけでは 分かり合え、というのが無理ではないのか?

ま、判ったようなことを書いているが 実はわかんないから書いただけで いろいろ語弊もあるだろうが・・・ むつかしい問題だから またおいおい考えてみることにしよう。ま、白虎隊の墓を拝んだだけでも良しとするか。
そりゃそうと白虎隊ばかりがクローズアップされているが 他の玄武、青竜、朱雀隊の墓とか史跡とか物語って無いのかな?



メイン商店街の一本内側に通っている「野口英世青春通り」なる商店街。

今 気が付いたが 野口英世と伊藤博文が同じ貨幣価値の千円札のデザインに選ばれたと言うのは やっぱり役人とか政治家とか地元の有権者の意思があったんだろうな。

「長州の伊藤博文がデザインされたのなら 会津の偉人も貨幣デザインに選ばれてしかるべきだ」とか「どっちが高くても安くてもまずいから 野口英世も同じ1000円札にしよう」とか・・・そんなやり取りが政府の中で行われていたことが なんか簡単に想像できるな。

 

ちなみに猪苗代湖のほとりにある「野口英世記念館」には 英世の生家が残されていたぞ。
入場料が勿体無かったんで 外から写真を撮るだけにとどめておいたが・・・(せこいぞ)

そうそう、右の写真が猪苗代湖。これを撮った位置からでは遠くにかすんで見えるんだが いちおう磐梯山も天気が良くて見ることが出来たぞ。

 

あ、いちおう会津で食べたものを紹介しておこう。
左が鶴ヶ城名物とやらの「ざるラーメン」(500円)。喜多方ラーメンの冷やし中華つけめんバージョンだな。

右は「福島に行ったら押さえておかないとダメ」と忠告された三万石という会社の「ままどおる」(80円)と ついでに買った欧風饅頭「エキソンパイ」(120円)
「エキソンパイ」はパイ生地であんこを包んだもの。噂の「ままどおる」は白餡を柔らかい生地でくるんだ饅頭。
わしの田舎の方面に住んでいる人にわかりやすく説明すれば、「ままどおる」はこっちで言う「母恵夢」みたいなものだ。



さて、サラッと会津も見たし 次に進むとするかのぅ・・・いよいよ福島県もチェックポイントが少なくなったな。 
次はちょっと離れているんだが 名前を聞いただけでは どういうものかさっぱりわからない下郷町の「塔のへつり」だな。

その時にちょっと通りかかった「羽鳥湖」。 ここは 湖の水が日本海と太平洋の両方に流れ込んでいる、という珍しい存在なんだそうな。

多分 一般的にはマイナーな存在の湖だとは思うが わしにとっては何気に印象深い名前だったりする。

実はスキーを初めて間もない頃、(最初はスキー2回目だったかな・・・) やっぱりスキーを始めたばかりの友人HANTらと週末ごとに集まって行き倒したのがこの湖の近くにある羽鳥湖スキー場だったのだ。(あと「鶏頂山スキー場」ってのもあったっけ・・・)

当時リッターカー(フォードのフェスティバ号)で大人3、4人と荷物を積み込んでトコトコとこんなとこまで来てたんだなあ・・・
ろくにターンも出来ない時期だったから 青々と深いエメラルドグリーンに輝く氷のゲレンデでは死にそうになったっけ・・・
 (´ー`)

さすがにこの付近は高原だけあって 会津若松で28度だった気温も21度まで下がってきたな。峠道はなかなか面白いんだがシャツ一枚でオープン走行していると体が冷えてきたぞ。
懐かしさにふけって スキー場のあたりをフラフラ彷徨っていたら ガソリンがなくなってきたんで給油。(天栄村 出光・368.0K地点、31.23L/3312円)
そして車はついに下郷町に突入。いよいよ「塔のへつり」やらと御対面だ!


でかすぎて写真に収まりきれないから何のことやらわかんないと思うが 要するに川の浸食作用によって岩が塔の形に削られてしまった、というものらしい・・・


(簡単な説明はこれ

写真のリサイズの関係で大きさが判りにくいと思うが クビレの部分は高さが2Mくらいかな?通路になるくらいの巨大なものだ。
よくこんな形のまま保っているな、と感心するわい。自然の力は偉大よのぅ。



・・・さて 時間は4時か・・・また中途半端な時間になったが 今日はこの先の田島町にある道の駅「たじま」に行って その先はまた明日考えるか・・・
すぐ先は栃木県なんだが 今から越境しても何も調査してなかったから身動き取れないし、あと ここまで来たらやっぱり「尾瀬」の存在が気になるからな・・・

道の駅に行く前にホームセンターに立ち寄って 底をつきかけてきたカメラのフィルム(デジカメ以外に普通のカメラも携帯しているのだ)、穴が開いて履けなくなった靴下、シャンプーや石鹸など いろいろなものを補給。

さすがに一ヶ月以上も彷徨うといろいろなものが無くなってくるわい。旅行開始からメモをとりつづけてきたノートも使い切るところまで来たし・・・あと 近くのスーパーで夕食などを買い込んだら けっこうな散財になったな。
スーパーの弁当って同じ500円でもコンビニの弁当に比べたら豪勢だし ついついその他にも目のついた惣菜なんかにも手を伸ばしてしまうしなあ・・・

なんだかんだウダウダしていたら 結局道の駅「たじま」についた頃には6時前になっていたぞ。
霧も出てきたし 今日はおとなしくココで寝て 明日天気になることを祈ろう・・・



今日の一枚・・・
敬意を表して 会津若松市の鶴ヶ城を。

走行距離218K
出費金額東山ようかん・・・105円
目覚めのコーヒー・・・120円
線香・・・50円
白虎隊記念館・・・320円
ままどおる・・・84円
欧風饅頭エキソンパイ・・・126円
会津若松商店街パーキング・・・300円
鶴ヶ城パーキング・・・300円
天守閣入場料・・・400円
ざるラーメン・・・500円
ガソリン給油(31.23L)・・・3312円
雑貨(フィルム、靴下、シャンプー、その他)・・・3186円
スーパーの弁当、惣菜、野菜ジュース、菓子など・・・1162円
計・9965円

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