2019年5月22日

2019GW対馬一人旅⑪:小茂田浜神社(元寇襲来地)~安徳天皇御陵墓

対馬散策3日目・・・

この日も朝の4時頃には目を覚ましてしまったんだが、雨もまだ霧雨が降ったり止んだりの状態で 本格的に降り始めるのは昼頃かららしい。

朝のコーヒーで一服した後はテントを撤収して横の東屋の中で干して乾燥作業。適度に風も吹いていたんで案外早く乾いたんで6時頃には収納を終えて行動開始ッ!!



対馬上島はひととおり回ったんで 3日目は再び下島へ向かう予定なんだが、その前に立ち寄ったのは「西漕手(にしのこいで)」





ここは入江になっていて西の浅茅湾への入り口というか出口というか そういう拠点だったらしい。



昔は対馬の西と東をつなぐ道幅が狭かったんで 小さい船は陸路でここまで運び、また 本土からやって来た遣唐使なんかはココで船を乗り換えて旅立っていったんだと。



今も波の影響も受けない係船場として利用されているみたいだな。



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下関からやってきて3日目で そろそろ偽ハスラー号の燃料タンク残量も怪しくなってきたんで 早朝からやっている厳原のスタンドで給油することに。

わしは2~3日くらいなら腹が減っても死にはしないが 車は致命的だからなあ。いくら燃費が良いといっても燃料は入れられるときに入れとかないと 変な山の中でガス欠でもおこされたら一大事だし。

できることなら偽ハスラー号も35Lくらいの容量があれば良かったんだがなあ。



Σ(゚Д゚) 確か出発前に下関で給油した時は138円くらいだと思ったが、対馬ではリッター171円ですってよ、奥さんッ!!

さすが島価格・・・

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東側の厳原の中心部から県道44号を走らせ、島の反対側へ。

向かったのは西側中央に位置する小茂田の港町。実はココこそ、1274年の最初の元寇の役の際に元と高麗の連合軍3万の兵と900の軍船が上陸した場所、ということじゃ。

アンゴルモアですよ、奥さん・・・(´▽`)



と、その前に・・・

県道沿いに「御首塚」なる いかにも、な看板を見かけたんで 行ってみることに。



いちおう 神社のような感じだな・・・





これがその首塚らしいな。



ここに葬られたとされる宗助国(宗右馬允助國)は鎌倉時代の武将で対馬の地頭・守護代だった人物。
蒙古の侵略に対して少人数で立ち向かい 討ち死にしたんだが、あまりに壮絶な最期を迎えたんで遺体は胴体と頭が別々に葬られたんだと。



これは小茂田浜神社で見つけた地域周辺図なんだが、首と胴の他にかいな(腕)と太刀も別の場所に葬られている・・・要するに単に討ち死にしただけでなくバラバラにされた、ということか。

胴体を祀っている法清寺、その他の位置は この地図を見て初めて知ったんで今回は訪問してないぞ。

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そんなこんなでやって来ました。こちらが小茂田の港にある「小茂田浜神社」
元寇で元・高麗連合軍が上陸した地で 祭神は宗助国。そして元寇の役で亡くなった将士の霊を祀っているぞ。



11月には当時をしのぶ大祭が執り行われるらしい。





まあ、元寇自体が相当古い話だし、蹂躙され破壊と殺戮の限りを尽くされたという古戦場なんで 当時の建造物とか遺品とか 何かしら物品が残っているわけではない、というのは道理かな・・・



ここには元寇の解説とか後世に建てられた石碑、記念碑というのがメイン。



こちらが本殿になるのかな?



祭神の宗助國は元寇の役において、国のために戦い、命を捧げた。「国難事変に際して神威を顕し命を賭して戦い、平時においては国家の平和を護り給う」神である。(Wikiより)

場所柄、お供え(?)用の砲弾の供給は足りているようだな・・・




しかし かの国のツアー客も 日本人のわしが見ても「そんなに大挙して押し寄せるような場所か?」という観光地を回るより、こういう場所を見て歴史から学ぶことを考えたらいいのにな・・・

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小茂田の浜から 初日に鑑賞した「椎根の石屋根」をスルーして 海岸線沿いに県道を南下。
しばらくは奇麗な海岸線以外に何もない景色を眺めながらの運転だったが、「久根田舎」なる集落で「安徳天皇御陵参考地」なる看板を見かける。



むぅ・・・わしの住む下関にも安徳天皇御陵と言われる赤間神宮があるし、旧豊田町には御陵参考地もあるわけだが、参考地は全国に5箇所ほどあって ここもその一つなんだとか。(ちなみに伝承、伝説のある場所は全国各地に十何か所かあるらしい・・・)

折りしも下関ではGWに安徳天皇絡みの「先帝祭」が行われていることだし、今回わしがココに来たのも 何かそういう因縁みたいなものがあったのかもしれないな。

とりあえず折角来たからには押さえておこうかの(゚∀゚ )



狭い集落を越えて 作業道のような細い道を進み、ちょっとした丘みたいな位置にその参考地はあった・・・



ほぅ・・・



まあ、雰囲気はあるかな。



やはりというか 当然のことながら ここにも宮内庁の手が入っているな。



と、いうわけでこれ以上は眺めるしかないだが、、、

この度 世界遺産になることが決定的となった仁徳天皇陵もそうだが、このテの陵墓って一回 専門家を入れて徹底的に調査してみれば いろいろ新事実もわかるだろうし面白いと思うんだけどなあ・・・

ふぅ・・・

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