山口方面から萩に戻る際に 明木集落の入り口にあたる「角力場(すもうば)」バス停あたりに ちょっとしたスロープがあって なにやら鳥居が見えているのが気になっていたんだが、
雨の土曜日、何もすることがなかったんで せっかくだからちょっと確認してみることに。
バス停に車を停め、(バスは1日に数回しか来ない・・・)テクテク登っていくと このような感じで石段が続いていたぞ。
ほぅ、宇麻神社か・・・この辺では余り見ない神様だが、「角力場」という地名と何か関係があるのかしら?
由来書みたいなものが一切ないから詳細は不明だが、特に何があるわけでもないなあ。
まあ、どんなものか判っただけでも良しとするか。
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てなわけで 今回やって来た明木エリアなんだが、萩市街地エリアに入る10キロほど手前の集落で かつては佐々並村と合併して旭村を形成していた明木村、さらに昔は萩往還を通った参勤交代で最初の宿場町となる「明木市(いち)」と呼ばれていた場所じゃ。ここからは下関に向かう赤間関街道も分岐しているぞ。
ここも国道を使うだけなら なかなか集落の中には入り込まないで通り過ぎてしまうエリアだが、当時の面影を残す「古い町並み」が見所でもあるし あんまり紹介したこともなかったんでサラッと書いておこう。
細い路地の先に鳥居が見えるが あれが明木神社らしい。
パッと見、城の様な風格じゃのぅ(´ー`)
例によって「特に何が」と言うことはないんだが、この神社ではモミの木群が見所らしい。
ほぅ・・・
小高い丘のようになっているから 石州瓦の赤い屋根の町並みが一望できるかと思ったが 案外そこまで景色は良くなかったな・・・
ちなみに 山陰地方の 特に山村の集落にはこのような石州瓦を使ったところが多いが 石見産の石州瓦は他の地域より高温で焼かれているため耐久性が高く、特に塩害、積雪に強い、という理由らしいぞ。もちろん産地が近い、ということもあるんだろうけどな。
萩往還の宿場町と言うことで 確かに幕末の志士、吉田松陰なんかとも縁は深いんだろうけど なんでもかんでも松陰押しと言うのも 観光政策としてどうなのかと思うぞ・・・
ココ最近、明木エリアを通過すると 「明木の恩人」と称してこのような二人のキャラクターをあしらったものを良く見かけるんだが、どういう人物なのか全く知らなかったが 今回の散策でようやくその正体が明らかになったぞ。
山の麓にある西来寺にその墓があるらしいが そんなことは後から知ったんで今回はやたら目立つ山門しか拝んでなかったり・・・
・・・と、まあ 駆け足で散策したんで 細かいところは省略しているんだが、街中にも宿場町がらみのスポットもあるし 個人的には石ノ巷山とか不動滝とかも割とお気に入りだったりする。
不動滝の不動様とか かなり趣のあるパワースポットなんだけど そーゆーのもまたおいおいとご紹介できたら、と思っているぞっ!
そんなこんなで今回のレポは以上じゃ!!くはっ!!
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